生まれた時から歌が好きでした



「お前は口から生まれたのか?」
と、家族から言われるほど
よく喋り、よく歌う子で
小さい頃、床の間の前は私のステージ

本当は床の間にのぼりたかったのよね




祖母に植え付けられた教わった
演歌を武器にのど自慢あらし
小学生の時から本格的にレッスンを始め
TVに出演したりしてました。





中学になり、演歌からバンドへ
PRINCESS PRINCESSから始まり
PERSONZやPEARL、SHOW-YAなどの
女性ヴォーカリストの曲から





XJAPAN、RED WARRIORS
LOUDNESS‥徐々に激しさが増す中で
私を認知してくださる方もいて
スカウトのお話などもいただきました。

これは中学2年生の時、高校生が参加するイベントに
歳をごまかして出場してた(笑)





そして16歳の春
念願のレコードデビュー!
歌手「山本実枝」の誕生です。


これは2ndシングルの写真だけどね





16歳じゃないよね、これ
でもこうやってデビューしたんです。





こんなに大人っぽいのに16歳
こんなに大人な歌が歌える16歳





それが当時の狙い‥だった気がする





私のデビュー曲「スゥィートラブ」は
恋愛泥沼劇のような歌詞で
正直あんまり意味はよくわかってなかった





でも逆にわかってなかったのが
良かったみたいで
シンプルに淡々と歌うことで
聴いてくださる方の妄想も余計に膨らんで


吉田栄作さん主演のドラマの
挿入歌カバー曲でしたので
ドラマの撮影にもお邪魔しました。





私、吉田栄作さんは
当時でっかいポスターを部屋に貼るほどの
大ファンだったので嬉しかったなぁ
そしてこんなに早く出会ってしまって
結婚までもっていけるだろうかと悩んだ(笑)
はぁ〜おめでたすぎてお恥ずかしい




ちなみにこんな写真も撮影しましたが

当時、却下となりまして(なんでだろ?)
今では密かな宝物(笑)





田舎の不真面目なバンド娘だった私
16歳の春を境に生活が一変しました。





憧れの芸能界での
お仕事がスタート!!






この頃の一番の思い出は
NHK新人歌謡コンテストで
グランプリをいただいたのをきっかけに
日中国交正常化20周年のイベントで
北京の紫禁城で日本の新人歌手代表として
歌わせていただいたこと。





ジュディオングさんや五輪真弓さんなど
恐れ多い顔ぶれの中で歌いました。
(ジュディさんの「魅せられて」を幼い頃
 バスタオルを身にまとって何度歌ったことか)





当時の中国はゴールデンタイムは
みーんなTVを観てるような状況で
私が出演した番組の視聴率も





50%オーバー






翌日、北京の街を歩くと
本当にたくさんの人が声をかけてくれて
(もちろん北京語‥意味はわかりません)






空港でパスポートをチェックする方まで
「おぉ!◯▽※⌘♩」と
私語を慎みきれずに話しかけてきたほど(笑)






私ってば
スターみたい






と、喜んだのを覚えております。
まぁ、帰国したら右も左も分からない
新人歌手に逆戻りしましたが(笑)






全国飛び回って歌っていたので
ファンの方との交流も多く
たくさんの写真を撮ってもらい
次のイベント先でプレゼントしてもらう‥
そんな日々でした。


10代じゃないでしょ!って言われそうですが10代です



ファンの方が撮ってくれた写真をもらうの嬉しかったな
これは札幌雪祭りで歌った時、雪のステージでした







そして20歳に突入し
Minkという名で活動を始めます。


ホントのホントのことを言うと
Minkって名前のバンドで
活動する予定でした。





ですが人になかなか馴染めない
人見知りな性格が災いしまして
社長に頭を下げて
「ソロでやらせてください」
と頼みました。





スタジオにこもって歌う日々は
とても充実していました!
どれくらい充実してたかというと
出前を毎回2人前注文するくらい(笑)
いっぱい歌って、いっぱい食べてました。



MV撮影、この小さい女の子
めっちゃ美人さんに成長して嫁ぎました!





この頃になると
ファンの方からいただく写真の中の私が
だんだんと歳相応になってきます(笑)


これは衣装という名のただの水着(笑)




小学生の時の校長先生に頼まれて成人式で歌いました。
事務所には事後報告になってしまい、叱られました(笑)





音楽にまつわるお仕事以外にも
色々経験させていただきました。





情報番組のリポーターから雑誌のコラムまで
数え上げたらキリがないほど
たくさんの経験値を積みました。





その中でも特に楽しかったのは
ラジオのパーソナリティミュージカル





ラジオは深夜3:00〜6:00の生放送
主に受験生やトラックの運転手さんが
聞いてくれていました。





テンションMAXで喋り続けたので
朝方、帰宅しても興奮で眠れず
帰ってすぐに録音した放送を
聞き返すのが習慣になっていました。

今でも残してあります、もちろんラジカセも





初のミュージカルは超!豪華メンバーで!
中学の頃、死ぬほど憧れたアーティスト
目の前に降臨したのですっ!





PRINCESS PRINCESS中山加奈子さんや
ダイアモンド✡️ユカイさん
バービーボーイズ杏子さん
そしてSHOW-YAからは
BassのさとみさんとKeyboadの美紀さん





こんな錚々たるアーティストの方と
同じ方向を向いて
ひとつの作品を作り上げていく‥
面白すぎてハマらないわけがありません。


この方々の音楽を間近で聴ける日々は極楽でした(笑)




このミュージカルが終わった後も





船越英一郎さんの劇団MAGAZINEに
出演させていただいたり





ブロードウェイミュージカル
「RENT」の日本公演に
出演させていただいたりしました。





これはちっちゃな自慢ですが





オーディションに合格して
お仕事いただくことも多々ありまして





「このお仕事は絶対やりたい!」
と思ったオーディションは
全て合格しております。





こんな風に一見、順風満帆に
進んでるかのような芸能活動
ある日、辞めることになったのです







歌が大好きなMinkが
歌のお店を始めました!

お店の入口はこちらです