体罰とうつ病 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

一昔前。
強い運動部は指導が厳しく監督の体罰や暴言は当たり前でした。

「何度言えばわかるんだ!お前みたいな○○はいっぺん○んでこい」

「ノ○マ!お前は本当にどうしようもないな」

こんなんが当たり前で『強い選手になるには打たれ強く反骨精神がなければならない』から大人の罵声に泣きながら、「すいません!もう一度お願いします!」と謝る。

球技のクラブならボールを投げつけられる。
道具を使うクラブなら道具で叩かれる。
平手、蹴りもあり。

何であれがまかり通っていたんだろう。
大人も子供も麻痺していたのでしょうか。
軍国主義的な思考が残っていたのでしょうか。
今ならありえないですよね。

だーさんは中学時代、市内でトップクラスレベルのクラブに入っていたそうです。
県大会でもメダルを取れる選手で県の強化選手にも選ばれたそうです。

やはり顧問の体罰や暴言が当たり前で、勝っても負けても殴られるし蹴られるしで、辞めようとすると辞める気かと脅され、親に言えば親に告げ口したのかと脅されたんだそう。

にわかには信じられない話しでしたが、だーさんの母に確かめたら作り話ではなかったようでした。

「なんぼ厳しいったってそれは虐待でしょ?親に助けを求めなかったの?」

「言ったよ、もう辞めたいって。でも辞められる雰囲気じゃなかったんだよ

と言っていました。

だーさん母に確かめた時の話しでも苦情は言ったとの事でしたが、いつの間にか数々の賞状やメダルの自慢に刷り変わっていて。

なるほどね、大したことしてなかったんだろうし、言いくるめられてたんだろうなと確信しました。

高校進学もスポーツ特待生の推薦入学を勧められたそうなのですが、高校でもあんな体罰を受けるのは耐えられないと止めたんだそう。

だーさんは、結局観戦することはあってもやることはなかったです。

このような話しは今も聞きます。

要は、そうやって指導されてきてそれが当たり前だと思って育った人が大人になり、今度は自分が子供に同じことをやる。
自分はそれで強くなったのだから正しい指導なんだと疑わない。
ダークペダゴジーの連鎖です。

私は、だーさんがうつ病になった要因の一つに、この体罰がまかり通っていた部活の指導がかかわっていたと思っています。

研究によれば

『厳しい体罰により、前頭前野(社会生活をする上で非常に重要な脳の部位)の容積が19.1%減少し、言葉の暴力により、聴覚野(声や音を知覚する脳の部位)が変形していた。』

そうです。



体罰を受けたのはだーさんだけではありませんでした。
他の子も体罰を受けていたそうです。
ですが、今となってはだーさんと同じように後の人生に影響を受けた人がいるのかは確かめようがありません。

機能不全家庭
顧問による虐待

そりゃ壊れますよね。