1995年1月17日
私は、被災した。
客観的な視点で見れば、私やその周囲が被った被害は大したことはなかったのだが。
私は思春期に立っており、6年上の先輩を亡くした。
思えばこの時から、私は死ぬこと消えることを考えるようになったのではないか。
先輩を追いかけて死にたい、消えてしまいたい。
希死念慮(きしねんさん)が、付きまとって離れない。
真夏は
「熱中症で死ねたら幸せだろうな」なんて考えていた。
現実には怖かったけど(意識障害)。
9月はとうとう精神科主治医に言った。
「水中毒で仮に死んだとしても構わないんです」
本心である、調子が悪かったわけではない。
つねに、きしねんさんがつきまとっているので、死にたい消えたいというのは、調子の善し悪しではなく日常。
それでも進歩したこともある。
向精神薬の余りを全て破棄した。
これでもう二度とODはできない。
長らくODで心臓肝臓に負担がかかっていたし、それで苦しんでも死んでもいいと思っていたが。
死ぬのが面倒になった。
ただ
やっぱり消えてしまいたい。