大人になると感じることを忘れてしまっていることを、彼は毎日、毎日、感じ、目の前で表現してくれるから。
特に身体感覚を習得しようとするその様は、大人になるとなかなかないなぁ、と思う。
お腹の中からひょっこりこの世に産み出され、
音を聞くこと、物を触ること、なにかを口に入れること、全てが初めてで、そこで感じたものを毎日、毎日、膨大な情報として頭にインプットしてるんだなーと思う。
まもなく3歳になる息子は
言葉もだいぶ話せるようになってきたし、自分の体も思ったように動かせるようになってきた。
だから、いろーんなことを実験し、感じたことを自分の中に取り込む作業を繰り返しているいるようにうつる。
私が運動好きだからってのもあると思うけど、彼は日々とにかく体を使うことをやり続けてる。
ある時は、布団の上ででんぐり返し。
いろんな回り方をしては修正したり、ドスンと落ちて痛みを味わったり、くにゃっと倒れちゃったり。
最近は、乗れるようになった補助輪付き自転車ひすっかりハマってるのだけど、自分の体だけでなく、道具をどう扱うのか?も感じてるように思う。
自転車を押したり、引いたり、カーブしたり、倒したり、タイヤを触って回したり。
乗りながら斜めになって転んだり、ガードレールに突っ込んだりもたまにするけど、転びながらも沢山のインプットをしてるように感じる。実際何か考えてる。
息子の保育園では、この季節から暑いと川に入る。今や私よりも川に入って泳いでる日数は多いような気がする。
そこで得たインプットによって、彼はたくさんのことを得ている。
川の流れの速さを感じる力、滑る石を判断する目、感覚、どうやったら転んでしまうか。
毎日、毎日、側からみると遊んでるだけなんだけど、彼にとっては学びの時間なんだろうな、と思う。
彼は転んでもあまり泣かない。
そして、私もすぐには駆けつけないことが多い。周りで見てる人にはびっくりされるけど。
よーくみてると、転んだ後に、彼は転んだことを悔しがり、なにやら検証しているように見えるから。
たまにそれを言葉にしてくれる時もある。
大事な時間だ、と思うから私はそっとしておく。
大人になると殆どのことを経験していて感じ切ってしまってるような気になる。
痛かったこと、怖かったこと、不快なことはインプットがあるから避ける。
安全を守る上ではとても大切なこと。
でも、怖いとこ、不快を解消するインプットがあったなら、その人がチャレンジできる幅が広がるんだろうな、と思ったりもする。
怖いとか、嫌だな、と思うことを見直してみることも大事かな、なんて思う。
そう、苦手なことも他にやり方があるのかも?と思う最近です。
子育てしながら子供から気づきをもらうことは本当に沢山あるなぁ、と思う。ありがたやー。