♪ あと一粒の涙で
ひと言の勇気で
願いがかなう その時が来るって
僕は信じてるから
君もあきらめないでいて
何度でも この両手を あの空へ ♪
ファンモンの『あとひとつ』
全国夏の高校野球大会⚾️
毎試合始まる前にフルコーラスで流れてくる
何度この歌を聴いたことか…
今の息子の状況と重なって何度か涙したと同時に何度も励まされた
息子は、ほぼ、全試合を病室のテレビで観ていた⚾️
息子は何度も何度も
「野球がしたい❗️⚾️
キャッチボールがしたい❗️」
と、涙ながらに訴えていた。
これは亡くなる直前にも遠い目をしながら話をしていた。
病気になって初めて気付かされる日常の何でもないことの幸せ。
入院してなかったら、今頃炎天下の下で泥だらけになってボールを追いかけてるんだろうな⚾️
元々、ゲームもしないし、あまり家で遊ぶこともなく、小さい時からやんちゃで昔の子供のように外で走り回って遊んでた。🏃♂️
丸一日、家に居ることは皆無だった。🏃♂️
そんなじっとしていることが苦痛で仕方のない性格だったので何をしたら良いか分からないでいたみたい
字を書く練習をしてみたり、マンガを読んだり、叔父さんに話し相手になってもらったり。
叔父さんといっても、まだ当時35歳なのでしんじにいちゃんと呼んで慕っていた👱♂️
野球部の友達も試験前で野球の練習がない時などに来てくれてすごく楽しそうに喋ってたな
でもとにかく雑菌は絶対❌という事からか、男子の友達は、病棟の横の待合室でのみ話することが許された。
女の子の友達も頻繁に来てくれたがそれは病室内でも🆗だった(^^;;
かなり差別されていたのが気になったけど、先生的には高校男子は菌の塊のように思っていたのかもしれない(^_^;)
すごく、患者の事を思ってくれているのは伝わってくるのだけど息子はかなり怖かったらしい
すごく美人で若いけれども貫禄があり、患者がわがままを言えない空気を作り出されていたように思う。
でもそれは患者の事を思ってであり息子には十分伝わっていたので先生の事が好きだったみたい
好きというか興味津々な感じかな。
「K先生、真っ赤なBM乗ってるらしい。」とか、「彼氏と海外行った」とか。
阪神タイガースの大ファンとか。そんな情報を看護師さんから仕入れては楽しんでいた
落ち込んで前向きになれないより、
退院する時のイメージを持ち続けて
明るくいる方がええやろ!
息子は、ずっとポジティブで居続けていた。