最近、また涙が止まらない。

 
今日は、カフェで就活の話を友達と楽しそうにしている学生を見かけた。
未来の自分をイメージして生き生きと語ってた。
 
息子もそうだった。
働きたくて働きたくて就活に命をかけるほど頑張ってた。
 
頑張っているんだけど悲壮感がある訳ではなく、充実した就活生活を送って居たように思う。
 
大学OBの社員の方や野球部の先輩の話を聞いて実にそれこそ生き生きとしていたなおねがいキラキラ
 
今年4月から働くはずが…
と、思ったら涙が止まらなくなった。
 
そうだ。ブログを書こう。
過去の楽しかった日々を振り返ろう。
 
2011年1月
 
退院してしばらくは、家に居たが、
「そろそろ走らないとヤバイ!」
 
と、言い出し家の周りを少し走るようになった🏃‍♂️
 
脂肪も筋肉もない節だけがある竹のような脚。
 
あんな体で走れるのか。
 
野球なんて出来るようになるのか⚾️
 
とにかく親としては無理はしないで欲しい。
 
体を大切にしてショボーン
 
こんな切なる思いとは裏腹に自分を追い込んでいった。
 
お母さんは、辛い治療を乗り越えたら、病気を乗り越えたら楽しい人生が待ってるって言うたやん
今頑張らないつ頑張るねん💪
 
野球も遅れを取り戻さないと❗️」
 
でも、ヘモグロビンも白血球、赤血球も正常値までは程遠く、お母さんは不安で不安で仕方なかったよショボーン
 
担当医は
「◯◯くんの人生やからどうしても野球やりたいんやったら止められへん。
病気の再発とは関係性はないと思うけど、埃や菌だけは気をつけて」
 
というような事を話ししていた。
 
そこから少しずつ普通の生活に戻っていった。
 
学校に行ったら、
「なんや太って帰ってきてんな!」
 
と、言われたようだった。
 
まだ、薬の副作用が抜けていないので顔がむくんで、いわゆるムーンフェイスだった。
 
そんな事も気にせずやりたい事を懸命にやってた。
 
髪が禿げてようが、野球部が幸いしてすぐ坊主頭になれたのは良かったニヤリ
 
懸念事項は修学旅行だった。
 
オーストラリアに行くと🇦🇺決めていたが、そこではホームステイがある。
 
担当医は絶対反対だった。
 
衛生的な事と、万が一病院にお世話になる場合大変だと。
 
ホームステイを辞めて、海に入るのもやめて、先生と一緒のホテルならとオッケーが出た❗️🙆‍♀️
 
この際、その方が楽しめるかも❗️
 
と、楽しみにしていたラブ
 
そして2月、念願のオーストラリアへの8日間の修学旅行へと旅立つ✈️🏝
 
 
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