区切りの時が来ると

年月が経つことを感じます。

 

 

年始のテレビ

2020オリンピックを絡めての

番組が多い。

 

就職決まったところに

普通に働いていたら

オリンピックに

関わる仕事をしていたような

気がする。

 

あーでも

車椅子のままだったら

関西勤務だから

それはなかったかも。

 


とか、生きていたら。。。

 

という想像をすることが最近多い。

 


男の子を見れば

息子のその年のころを思い出す。

 

3歳ぐらいの子を見たら3歳ぐらい

 

高校生を見たら高校生の時。

 

いつの時も可愛くてかわいくて

しょうがなかった。

 

でも、ねこっ可愛がりではない。

 

息子なんだけど

同士みたいな時もあり

どんくさいところに

母性をくすぐられる時もあり、

友達みたいに

冗談を言い合うこともある。

 

 

すべてひっくるめて可愛い

という表現。

 

 

もしかしたら

女の子とは

ちょっと違うのかもしれないけど。

 

 

羽生くんは

母は、自分の人生を捨てて

僕に人生を捧げてくれているから

申し訳ない。

 

というようなことを言っているけど

 

母としては幸せだよ。

 

あんな子供がいて。

↑語弊があるかな。


いや、我が子は

全て可愛いけど

 


国民栄誉賞を取っていても

自分しかわからない

息子を知っているだろうし。

 

いろんな意味で

可愛くてかわいくて

仕方ないと思う。

 

まあ、でもあそこまで立派だと

お母さまも

神の子をお預かりしている

感覚だったりして笑い泣き

 

 

私は

息子がいなくなって

体半分削り落とされたような

喪失感だったけど

 

 

今は、息子が幸せで

楽しくしていてくれることが

一番の願い。

 


だから都度

確認をする。

 

今は、楽しい?

幸せ?

って

 

昨日も、今日も

神社に行ったけど

 

それが一番の

お願いごとかな。

 

今年、

更に

ランクアップして

楽しい

世界で

過ごしていますように・・・




何年か前の

大神神社


これ載せるん何度目かな😅