今日、ついに

夏の高校野球も

中止と発表された。

 

3年生は

やりきれない思いだろうな。

 

野球野球野球野球野球野球野球野球

 

今日、書く内容は

私個人の意見だし

私の想いなので

もし、不快に思われた方が

おられたらごめんなさい。

スルーしてください。

記録用として自分の想いを

書きます。

 

鉛筆鉛筆鉛筆鉛筆鉛筆鉛筆鉛筆鉛筆

 

 

実は今年高校3年生の

姪っ子も

インターハイが中止となり

絶望感に打ちひしがれていた。

 

 

甲子園だけ開催しても

なんで野球だけ特別やねん。

とか、非難する人もいるだろうし。

 

でも

私が感じた意見だけど

日本はやっぱり高校野球は

特別だなぁと思う。

 

大学になると

途端に人気がなくなる。

 

球場もガラガラ

 

 

駅伝みたいに

野球もトップ選手は関東に

行くからなのか?

 

日本のおとんとおかんは

高校球児を息子のように

応援したりする。

 

サッカーとかラグビーは

あまりそれを感じない。

 

でも逆に大学ラグビーは

高校と同じぐらい人気があるように思う。

 

 

野球は本人だけじゃなく

親の想いも重くのしかかって

強い人が多い気がする。

 

 

子供が生まれる前から

自分が果たせなかった夢を

子供に託したり

 

 

ボーイズやシニアに入れて

ものすごい熱の入れよう。

監督への○○も配慮を忘れない。

 

 

子供も自然と

甲子園を目指し、

プロ野球選手を目指す。

 

 

稼ぐことが出来るようになるのは

ほんの一握りだとわかっていても

家族そろって様々なことを犠牲にし

全力を尽くすところを

沢山見てきた。

 

 

甲子園は単なる通過点じゃないと思う。

 

単なる高校生活の集大成ではない。

 

悲願の甲子園

 

高校の3年間は

40代や50代の3年間とは

重みが違う。

 

もちろん、人生それだけが

全てじゃないし

そこを目指してきた過程や

努力、周りの人への感謝の

気持ちも芽生えるんだと思う。

 

でも、試合でしか生まれないもの

もあると思う。

 

夏の大会で負けて

終わった時に改めて

仲間との絆をより感じ

仲間の大切さを感じていた。

 

 

息子は

試合に出れなかったけど

スタンドから仲間を

懸命に応援してたし

あの経験があるのとないのとは

ほんとに違うと思う。

 

 

でも、これは

高校生やその家族のことを

思っただけのこと。

 

 

もし、クラスターが

発生したら

誰が責任を負うの?

人の命の重さに対して

軽々しく

責任は取るとか

言えるはずもない。

 

だからなおのこと

甲子園の代わりになるものは

ないかもしれないけれど

 

人生を賭けて来た想いを

ぶつける場があっても

いいのになぁ。

と思う。

 

 

命には代えられない。

 

でも、

息子は命に代えてでも

野球をやりきった。

 

医者は止めたけれども

 

それが

再発の原因だったとしても

 

最後は学生コーチという

居場所が出来て

新たな発見が出来て

 

悔いはないと言っていた。

 

ただこれは自分自身のこと。

 

他人様を巻き込むわけにはいかない。

 

コロナが憎いだろうなぁ

 

ずいぶんと偏った意見でしたが

それは認識していますので

スルーしてくださいね。

 

 

過去記事

§11 夏の敗戦の涙の意味

 

 

 

 

 

 

まともな野球の写真

これしかない😅

 

だからまたアップします。