生きることが気づいたときから辛かった。
たぶん4歳5歳あたりから。
けど、なんで生きづらいのかという理由に気が付いていなかった、いや、気づいてしまう怖さで重たく丈夫な蓋をしていた。
そんな重たく丈夫なふただったから開けたとたんに恐ろしいほどのガスが爆発したかのごとく、その理由がのしかかってきた。
本当なら幼いころにその蓋をかすかにでもあけておけばよかったのかもしれない。
得体のしれないものがたくさんわいてきて、自分一人では処理できなくて。
蓋をあけたのは私、それを気づかせたのはカウンセラー。
もう十数年前のこと。
それから二人三脚のようにし、常に伴走してくれたカウンセラーは突如として私から離れざるを得なくなった。
過去を見るよりも未来を見ることの方が賢明なのはわかっている。
けど、見て見ぬ振りをした代償は今になって苦しい思いとなっている。
私のことを見てくれた人にありがとうと言いたい。
もうここでおしまい、そういいたい。
何もかもおしまいにしたい。
別に私がいなくても世の中はまわる。
もし私がここからさようならができたとき、ずっと心の中のどこかに私という一人の人間が残ってくれたらと。
でも、忘れられていくだろうな。
あっさりとバイバイって言って、次に向かうことができるんだろうな。
もう本当にここでおしまいにしたい。
もういや。
なにもかもいや。
誰か今すぐに私という人間をピリオドさせて。