こんにちワン。さくらかおりです。
げんざい唄の活動のおやすみをいただいております。
そして唐突にブログを再開してみました。
いったいいつぶりだろ…
じゅようないかもしれないのですが、
むしょうに文章をうちたくなったので、
唐突に、『自分曲説明』みたいのやってみようかなと思います。
つまり、自分の曲の説明です。
そのまんまです。
じゃ、いってみましょう!
飽き性なのでいつまでつづくかわかりませんが…、さくらかおりの自分曲説明、かいしっ!
(ここから先は、かんぜんに自分語りなので、曲のいーめじが変わってしまうのがびみょうだなって思ったら、とちゅうで読むのをやめたほうがいめーじ保てるかもですが!こわいもの見たさでさいごまで読んでもらえたらうれしいな!!)
①『さくら号線』
この唄の原曲は、すんんんんごい古い唄で、最初のタイトルは『春の嵐』という名前でした。
わたしがさくらかおりという名前で活動し始めて、おそらく初めてのライブか、数回目かのときに、ピアノサポートをしてもらいながら唄ったのが最初かな…。あやふやだけど。
春の嵐のときは、サビがぜんぜん今と違って、もうすこしやわらかい、まさに春の優しい風のようなメロディと歌詞でした。
わたしは曲を書くときに、なにかのきっかけがあって書き始めるタイプなのですが、
春の嵐を書こうと思ったきっかけは、わたしがバスのうしろの方の席に座るのが好きで、そこから眺める景色とか、舞い込んでくる風が穏やかで好きで、だけど春の風って、自分の心ごとぜんぶさらっていってしまうような怖さというか、希望と不安がいりまじっている気がして、
そんなもろい心情を淡いタッチで油絵のように描けたらいいなぁと思って書き始めた曲でした。
曲をつくり始めたての頃の昔のわたしは、
メロディをつくることに関して、めちゃくちゃ感情オンリーでつくっていました。
テクとか、コード進行とか考えずに。
だけど、伊秩弘将さんにプロデュースしていただき始めてから、
「歌詞を最大限に伝えられるメロディのつくりかた」におけるコード進行の大切さを知り、
この春の嵐も、いまの『さくら号線』になる新たなサビがうまれたのでした。
わたしはしばしばこのように、昔の曲をかきくわえることがありますが、
古いほうも、新しいほうも、どっちも自分の作品なので、優劣をつけてるわけじゃないし、捨てたわけでもなく、
古いほうの作品をあたためて、いる、という感じ。
またおぎゃあと再生する日がくるんだろうなって。
話を戻して、『さくら号線』は、わたしの母方の祖母のことを想って書いた唄なので、
唄うたびに、口数が少なかった祖母の、
畑仕事でいつも手が汚れていた祖母の、やさしい瞳を想い出します。
幼いころのわたしは、質素な祖母の繊細で奥ゆかしい愛情にあまり気づけず、
「おばあちゃんはかおりのこと、ほんとうにすきなのかなぁ…」
なんて、不安に思ったりしてたことがけっこうありました。
祖母との最期のお別れの前に、『ひとつだけ』という曲を書いて、
入院中の祖母に届けた日も、
母から、
「おばあちゃんね、かおりが帰ったあとに、“…かおりちゃんがいちばんだよ。かおりちゃんがいちばんだよ”って、言ってたよ」と聞いて、
直接言葉で伝えるだけが愛情じゃないんだって、初めて気づいて、
たくさん涙を流しました。
おばあちゃん家のぬかみその、おつけものが大好きだった。
とくになす。
あの味には、いまだに出逢えていない。
きっとあの味は、
おばあちゃんが言葉よりもあたためつづけた、
たった一人の孫への愛情の味だったんだろう。