2009年07月29日


静岡県がお茶の名産地になった理由

お茶の名産地といえばどこ?誰でも答えられますね。そう、静岡県です。でも
なぜこの静岡県がお茶の名産地になったのか、似たような気候、地形の場所は
他にもあるはず。それでも静岡県がほとんどのシェアを占めているのは「越す
に越されぬ大井川」に関係しているのです。

これは江戸時代に歌われたもの。江戸時代大井川は交通の名所。徳川幕府が江
戸防衛のために、街道筋の大きな川には橋を架けなかったのです。享保年間の
記録を見ると、大井川は川幅1454メートルで、両側の金谷宿と島田宿には
川会所があり、川越えに従事するものは川越え人足、雑役夫合わせて800人
ほどいたと書かれています。川越えは、時代劇でご存知の通り、人足が旅人を
担いで渡るもの。したがって、水位などに左右される、つまり交通の難所とい
われていたのです。

さて、この大井川の川越え制度も明治の新時代にもなるとその前近代性が改め
られ、明治4年には人足による川越えが廃止され、渡し舟が登場します。と、
なると失業するのは川越え人足たち。800人におよぶこの人たちは、ちょう
どいい気候の土地だからと、そこでお茶の栽培を始めたのです。それが静岡県
というわけ。「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話です。