先日、職場の病院の廊下を歩いていたら、突然、名前を呼ばれました。

声の主を見ると、以前、入院していた患者さんでした。

 

彼は、40代です。

数年前、30代後半の若さでクモ膜下出血となり、入院されましたが、幸いなことにほとんど後遺症はなく、元気に退院された方です。

 

その彼が、また入院していたのです。

今度はガンでした。

手術のために入院しているとのことでした。

 

本当に驚きました。

 

普通の方なんです。

当たり前に、どこにでもいそうな普通の人。

なのに、どうしてこの方にばっかり、病がふりかかってくるんだろう?

30代でクモ膜下出血になるだけでも稀なのに、その上にガンになるなんて!

 

障害児の療育を4年ほどしていた時にも感じていました。

立派な職業に就いて真面目そうな人、明るくて人柄も良さそうな素敵なお母さん、お父さんがたくさんいました。

どうして、この方々のところにハンディキャップを持ったお子さんが生まれたんだろう?

 

世の中には、何もかも恵まれているくせに、不満ばかり言っているような人もいます。

その一方で、なんて不公平なんだろう?

 

そんな時に思い出すのは、2018年2月12日の東京新聞23面の「本音のコラム」欄で、看護師の宮子あずささんが執筆されていたコラムです。

 

少し長くなりますが、コピペします。

 

キーワードは公正世界信念という概念。わかりやすく言えば、「世の中は公正にできていて、悪いことをしなければひどい目に遭わない」と信じること。これを成立させるには、無理にでも原因を探さねばならない。

 

これを病気にあてはめてみると、まず患者さん自身が不摂生を周囲から過剰に責められる。これは、節制していれば病気にならない、との公正世界信念。そして、患者さん自身も、適正な治療がされていれば悪くならないと信じたい公正世界信念があり、病状が悪くなるとそれを医療者の落ち度として責めるのだ。

 

また、本来ならば同情されるはずの犯罪被害者や、独裁者に迫害される抵抗者も責められる。通り魔に襲われるのは人通りのない道を歩いたせい。偏った思想を持つから、罰せられて当然。落ち度がなければ安全と信じたい人が、被害者を責める構図がある。

 

実際の社会は、温かい人柄の人が病に苦しんだり、時に通り魔に襲われる理不尽に満ちている。

 

公正世界信念には無理がある。

ほどほどに諦め、誰が悪くなくても悲しいことは起こると認められたら。不安と引き換えに、私たちはもっと互いに優しくなれるのではないだろうか。

 

この「本音のコラム」欄は、日替わりでいろんな方が執筆されていますが、私はこの宮子あずささんが大好きで、欠かさず読んでいます。この時も、深くうなずきながら読み、忘れないようにしようと、切り抜いて保管していたのです。

 

子どもを授かることに関しても、理不尽に満ちています。

虐待するような人にも授かるわけですし、身近な例であれば、仕事の能力が低く、周囲から疎まれているような人にも、子どもは生まれています。

正直、「私の方が絶対、いいお母さんになると思うんだけどなー。」と思ったこともしばしばだったりします。ははは、すみません 笑

 

私は少々毒を持って書いてしまいましたが、北山裕子さんは、同じような内容を愛に溢れた文章で書かれています。

 

どうぞ、こちらを読んで癒されてくださいませ。

 

 

今年ももう4分の1が過ぎましたね。

元旦のブログで、「いつ死んでも大丈夫なように身辺整理する」と宣言していたのに、全然できてないことに気づきました。

少し前に、ブロ友さんが「遺書」というタイトルで記事を書かれていて驚きましたが、見習おうと思った日曜日であります。

 

 

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