1995年1月17日、真冬の薄暗い早朝5時46分に発生し、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名という甚大な被害をもたらした「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」、今日で発生から18年が過ぎました。

 

お亡くなりになられました方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 

当時、震源から遠く離れた大阪郊外、いわゆる北摂地区に住んでいましたが、その揺れは凄まじく、立つこともままならない激震、シルエットで見えた棚から落ちる本や倒れるテレビ暗い中、テレビをつけようとしましたが地震に発生に伴い停電となり見ることができません。

 

差し当たり、実家へ電話を入れ無事を伝え駐車場の車に向かい、カーラジオで情報を収集、神戸の魚崎では阪神高速道路が倒壊しているとの報道を耳にし、これはただごとではないとあらためて認識しました。

 

電話はすでにつながらない状態で、まずはコンビニに走り飲料水と食料を確保し、ひとまず出社しました。のちに何度かの余震に襲われつつ、お得意先、社員などの安否確認しました。幸いお得意先関係者、社員は皆無事で安堵、ずっとあとになってですが、会社の神戸、阪神事業所および社員の無事も確認できました。停電が解消した後はテレビで情報を収集、震源は淡路島北部ということを確認、そしてモニターに映る神戸の惨状に言葉を失いました。

 

三ノ宮駅前のそごう神戸店は建物中央が上下に剥離、阪急三宮ビルは倒壊、道路も鉄道も不通となり、近づきたくてもどうすることもできず・・・。

 

・・・後で聞いた話ですが、1933(昭和八)年竣工のそごう神戸店の内部上層階は床や天井が抜け穴だらけ、幾度の増築を繰り返しているため、その継ぎ目部分の剥離、崩壊していたということです。

 

また、1927(昭和二)年竣工、村野藤吾設計、元町の大丸神戸店も外から見るかぎりはそごう神戸店ほど大きな被害はないように見えましたが、それを上回るほどの被害状況でした。やはり増築を繰り返していたため、古い時代の建物部分、元町玄関側の区画以外、全館の3分の2が倒壊、外壁のみ残し床がすべて抜け落ちていたということです。

 

そして復興へ・・・

そごう神戸店は被災から約1年3ヵ月後の1996年4月28日、全館復興グランドオープンを遂げました。

 

そごう神戸店(2001年5月12日撮影)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-そごう神戸店・緑ネオン 2001.05.12


崩壊した本館中央部分を撤去、「サンファーレ広場」と命名された公開スペースには、みなさんご存じの「世界の人形時計」が設置され、2008年4月18日まで稼働していました。そしてサンファーレの広場から入った本館2F入口すぐにダブルエスカレーターをあらたに配置、エスカレーターからは三ノ宮周辺が一望できました。

当時のそごうのコーポレートカラーは赤から翡翠色に変更されたため、SOGOのネオンサインが、少しの時期だけ翡翠色のものが使用されていました。左手に見える筆記体のSogoもわずかの期間だけだったので、記憶にない方が大多数ではないでしょうか?

 

新館部分だけは赤のロゴで変更されませんでした。

 

そごう神戸店・新館(2001年5月12日撮影)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-そごう神戸店・懸垂幕 2001.05.12


懸垂幕に見える「この街で、皆さまとともに。」数々の媒体にも印刷されたそごうのメッセージです。

 

百貨店は地元に寄り添い、地元の皆さまと共に生きていく、というすばらしいメッセージ。このメッセージに励まされたという神戸市民の声を多く聞きました。

 

本館正面のロゴの変遷は2007年4月に撮影したものと比較してみるとよく分かるでしょう。


そごう神戸店(2007年4月14日撮影)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-そごう神戸店・赤ネオン 2007.04.14


三井住友銀行(震災当時は、さくら銀行)が撤退し、正面東側のネオン看板もSOGOのものへ取り換えられています。
本館を東側から見ると・・・

そごう神戸店(2010年5月17日撮影)

山陰百貨店―山陰ぐらし☆右往左往―-そごう神戸店 2010.05.17


大部分が白いパネルで覆われていますが、所々に竣工当初の外壁なども見え、かなり複雑な増築がされていることをうかがわせます。

建物の外観は10年前とほぼ変わっていませんが、民事再生法適用、経営主体の入れ代わりなど数々の変遷がコーポレートカラーの変更などに見てとれます。

こうやって百貨店や街の写真を撮ることのひとつのきっかけになったのが、阪神・淡路大震災です。いつもそこにあって当たり前、変わるはずのない景色が一瞬にしてなくなってしまう。そして元に戻ることはなく、曖昧な記憶でしかたどることができない。そう思ったのは、三ノ宮そごうを含む、この周辺は幼い頃の楽しい思い出の景色として記憶の片隅に残っていたからかもしれません。