1995年1月17日5時46分未曾有の被害をもたらせた「阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)」により、1927(昭和2)年竣工、村野藤吾設計、元町の大丸神戸店は外から見るかぎり、三ノ宮そごうほど大きな被害はないように見えましたが、増築を繰り返していたため、古い時代の建物部分、元町玄関側の区画以外、全館の3分の2が倒壊するという被害状況でした。
3ヵ月の休業ののち、3分の1の面積で営業を再開
そして震災からおよそ2年後・・・
「新しくて懐かしい神戸があります。」
大丸神戸店(2006年4月1日撮影)
1997年3月2日大丸神戸店(こうべみせ)復興グランドオープンさかんにTV-CMが流され神戸市民の期待と希望を一身に集めました。
また、同日には福岡天神の博多大丸も新館のエルガーラを増床、リニューアルオープンを果たしました。
この建替え際し、社内の反対を押し切り、200億円を投じて神戸店を再建大英断を下したのは創業家12代目当主の下村正太郎社長(当時)です。この大英断により、長く水を開けられていたいたそごう神戸店との売り上げを逆転し地域一番店となりました。
復興グランドオープンから何度も足を運びましたが、なんといっても店内外の環境や設備力がスゴイ!!吹き抜けにピカピカの床、石造りのコリドール、夜になるとガス灯が明るく足元を照らし、建物は美しくライトアップなどなど、日本の百貨店の中でも足を運ぶ価値のある数少ないお店です。
エスカレーター周辺で流れるアナウンスも、雨の日には「雨の中ご来店くださいまして・・・」と、雨天用のものが流され、館内放送のチャイムなども、旧居留地大丸にふさわしいものが流れるようになりました。
コリドールの上には大丸のシンボル孔雀のレリーフが見られます。
大丸神戸店(2006年4月1日撮影)
この孔雀のレリーフは、大丸のシンボルでもある心斎橋店心斎橋筋玄関に掲げられているテラコッタ製のものを模ったもののようです。
大丸大阪心斎橋店(2005年3月20日撮影)
アメリカのアトランティックテラコッタ社製、満天の羽根を広げた雄孔雀、当初大丸側はフェニックスを発注したが、ア社の提案を受け入れました。孔雀はキリスト教では「永遠」を意味します。
震災に耐えた元町玄関側の区画も、新築部分とデザインを統一されました。
大丸神戸店(2010年3月12日撮影)
JR元町駅で降車した人が、当然の如く大丸神戸店に吸い込まれていく様子が日常の神戸の光景です。