倉吉駅の北側、天神川右岸の丘陵上。
スダジイが繁茂する鬱蒼とした波波伎神社社叢。
その中でひっそりと口を開けて佇む直径35mの円墳「福庭古墳(ふくばこふん)」。
精美な切石積みの横穴式石室の全長は3.0m、奥壁、両壁に大きな切石を立て、その上に一枚岩をかけて天井石としている。
玄門は左右に2枚の板石を立てる両袖式。
玄門上の小天井石にはホゾ穴が加工してあり、そこに玄門の石がはめ込まれている。
玄門近くの玄室床面には、仕切石で遺体を安置する区画がしてあり、玄室手前に全室を設け副室構造をとるなどの特徴がある。また、玄室の奥壁上部の石材には、赤い顔料で3本の平行線が引かれ、その奥に鋸歯文が描かれている。
出土遺物はなく、石室の構築方法から古墳時代終末期の築造と推測されている。
横穴式石室は死者があるたびごとに同じ石室に埋葬できるようにした構造をもつ古墳で、家族墓としての機能をもち、九州からの影響を受けて造られた。
古墳は拝殿の右後方。
鬱蒼と茂る樹木に覆われ、昼でも薄暗いため多少の心理的負担を伴うかもしれない。
しかし、昨年県が新調したピカピカの看板がお出迎えしてくれるため、ちちんぷいぷい屁の河童だぜ。
県指定史跡
福庭古墳(指定年月日 昭和31年(1956)5月30日)
福庭古墳は古くから横穴式石室が開口している石室として知られており、大正期には京都帝国大学の梅原末治教授により測量調査が実施された。
墳丘形状は直径約35m、高さ約4mの円墳と考えられているが、正確には不明であり、方墳や多角形墳である可能性も指摘されている。
入口通路にあたる羨道は、長さ6.6m、幅2.1~2.7mと石室入口(開口部)に向けて広くなっている。羨道の側壁は、玄門側(玄室側)は大型の一枚石で構成されているが、石室入口に行くに従って小型の石材が用いられており、積み方も乱雑となっている。遺体を安置するための玄室は、大型の石材を立て、その上部に板石を玄室内側にせり出すような形で積むことで奥壁、側壁とし、その上部に大きな一枚石を天井石として架構して、内寸長さ2.3m、幅2.2m、高さ2.3mの玄室空間を造り出しており、加えて玄室入口床面には、高さ40cmの仕切石が認められる。
また、羨道と玄室の境界に位置する天井石には、玄門側には段状の加工が施されている。
玄室奥壁には、一部赤色塗彩が施されており、三角形状の壁画が描かれた装飾古墳である可能性が指摘されている。
当古墳は石室の特徴から古墳時代終末期に築造と考えられ、同じく国指定史跡である古墳時代後期の三明寺古墳につづく天神川流域の首長墳と評価されるものである。
令和4年3月 鳥取県
以上、説明看板全文転載。
鳥取・島根の山陰両県内には、消滅したものや未確認のものまで含めると18,700基を超える古墳があると推定されている。
その内訳は島根県内が約5,600基、鳥取県内が13,094基※平成3年文化庁調査で、鳥取県は古墳の数が全国第3位。
王国が乱立して問題化している本県だが、「古墳王国」は建国されていない。
解せぬ。
なお、倉吉市内には2,900基以上もの古墳が確認されている。
◆概要
名称:福庭古墳
所在地:鳥取県倉吉市福庭654
史跡区分:鳥取県指定史跡(指定年月日 1956年|昭和31年5月30日)
開場時間:24時間
休場日:無休
ホームページ:
駐車場:無
●アクセス
鉄道・バス:JR西日本山陰本線倉吉駅から日交バス橋津線で約7分倉吉北高前下車徒歩約7分
自動車:山陰自動車道はわいICから国道179号経由約5km10分
◆参考文献
『市勢60周年記念 くらよし風土記~倉吉学入門~』 倉吉市教育委員会 発行
山陰歴史ガイドブック第2巻「山陰の古墳」【改訂版】 史跡ネットワーク会議 発行
「倉吉文化財さんぽ」 倉吉市教育委員会事務局文化財課 編