日本初の夫婦喧嘩が展開された生者の国と死者の国、あの世とこの世の境。
その舞台とされる場所が島根にある。
『古事記』に記されている黄泉の国の入口にある坂「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に鎮座する「千引の石(ちびきのいわ)」が目印。
旧出雲街道(島根県道191号揖屋停車場線)と並走する山陰本線を渡った先、民家の壁に見える「黄泉の国への入口 黄泉比良坂」へと誘う看板。
黄泉比良坂比定地は、この奥の突き当り。
駐車場完備。
由来書看板や北川景子主演の映画「瞬(またたき)」のラストシーンが撮影されたことを示す看板などが設置されている。
駐車場の隅にある二又の分かれ道を左。
池の天端の奥。
日本の石柱に掛けられたしめ縄を潜る。
1940(昭和15)年に建立された「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」の石碑。
そして千引の石。
千人がかりでようやく動かすことができるほどの巨石だったことがその名の由来だがずいぶんと小さいという謎。
男神・伊弉諾命(イザナギノミコト)と女神・伊弉冉命(イザナミノミコト)は、天つ神の国土創生命令に従って地上に降り立ち、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の国土を創り、次にその国に住む様々な神々を生んだ。そして最後に火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生んだ際に伊弉冉命は美蕃登(みほと)に火傷を負い亡くなり黄泉の国へと去った。その死を受け入れることができなかった伊弉諾命は妻を迎えに黄泉の国へと下った。
伊弉諾命は「二人で作った国はまだ作りおえておらぬ。早く還ってほしい」呼びかけた。それに対しては「黄泉の国の食べ物を食べてしまったのでもう還ることはできない」と返答したがやがて思いなおし「何とかして還りたいので、黄泉の国の神々に相談してみましょう。その間、決して私を見ないでください」と言って御殿の中へと消えていった。
待てど暮らせど伊弉冉命一向にに現れず、しびれを切らした伊弉諾命は約束を破り、左の美豆良に挿していた爪櫛の端の太い歯を一本折って火を灯し、御殿の中へと入った。そこで見たものは身体中に無数の蛆が蠢く伊弉冉命の凄惨な姿。また頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷(くろいかづち)、女陰(ほと)には析雷(さくいかづち)、左手には若雷(わかいかづち)、右手には土雷(つちいかづち)、左足には鳴雷(なるいかづち)、右足には伏雷(ふしいかづち)の八体もの恐ろしい雷神が憑いていた。
変わり果てた伊弉冉命に恐れ戦いた伊弉諾命は黄泉の国から逃げ出した。
「あれだけ見てはいけないと言ったのに、よくも私に恥をかかせたな」と伊弉冉命大激怒。追手として黄泉醜女(よもつしこめ)を差し向けた。
そこで伊弉諾命は蔓で作った髪飾りを投げつけると山葡萄の実がなった。それを食べ尽くした黄泉醜女は再び追いかけてきた。今度は右の美豆良に挿していた爪櫛の歯を投げつけると筍が生えてきた。それを黄泉醜女が抜いて食べている間に伊弉諾命は逃げて行った。埒が明かないと踏んだ伊弉冉命は千五百黄泉軍(ちいほよもついくさ)を差し向けた。そこで伊弉諾命は腰につけていた長い剣を後ろに振り回しながら黄泉比良坂のふもとまで逃れ、そこになっていた桃の実を三つ取って投げつけて千五百黄泉軍を追い払った。
最後に伊弉冉命が追いかけてきた。伊弉諾命は大岩で黄泉比良坂を塞いだ。
この岩を挟んで伊弉諾命と伊弉冉命が対峙。
伊弉冉命は一日千人を呪い殺すといい、伊弉諾命は一日千五百人産まれるようにするといい返した。
このため日本の人口は長らく増え続け隆盛を極めたが、二千数百年の時を経て人口減少局面に突入。これは伊弉冉命の呪いなのか!?
千引の石の向こう側が死者の国、覚悟を決めて石を越えたら行き止まり。
伊弉冉命の目線で死者の国から生者の国を見てみよう。
実のところこの千引の石は神代の昔からここにあったものではない。「黄泉比良坂」の場所が分かり難いとうことだったので、同町内に本社のある三菱マヒンドラ農機(旧佐藤造機)創業者の佐藤忠次郎が私財を叩いて寄贈した目印的なものというのが真相。
黄泉比良坂は二又の分かれ道を右に進んだ先。
緩い登り道。
やがて下り道。
下り坂。
伊弉冉命が黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)と呼ばれている。
下り坂。
また山坂道を追っかけ上がった坂を追谷坂(大谷坂)と呼ばれている。
やがて坂下。
ここが黄泉の国。
じゃない!!
坂を下は、松江市東出雲町でした。
なにこの『千と千尋の神隠し』のキャッチコピーみたいな展開・・・
島根県道324号上意東揖屋線沿いのブロック塀に掲げられた「↑500m 東出雲中央公園🅿」「←徒歩5分 黄泉比良坂 伊賦夜坂」の看板。
ここから国道9号まで230m・徒歩3分、揖屋駅まで約1km・徒歩15分、駅至近買物至便な好立地。
2017(平成29)年、黄泉比良坂比定地に東出雲ライオンズクラブの協力で木製のポストが設置された。このポストには亡くなった人にあてた手紙を投函できるもの。1年間に1千通を超える手紙が投函され、毎年6月にお焚き上げが行われている。
現代では「死」を忌み嫌い、目に付かないよう隠してしまいがちで、大半の人は「死」を実感することがない。しかしそれは誰にでも平等に、時に呆気なく訪れる。まぁ「死」なんてものは「生」と隣り合わせ、古来より意外と身近にあるもの。
◆参考文献
『神々と歩く出雲神話』 藤岡大拙 著 NPO法人出雲学研究所 編・発行
『山陰の古事記謎解き旅ガイド』古代出雲王国研究会 発行
『「神話」の歩き方』 平藤喜久子 著 集英社 発行
『出雲縁結び散歩』 まのとのま 著 徳間書店 発行
◆概要
名称:黄泉比良坂(伊賦夜坂)
所在地:島根県松江市東出雲町揖屋
●アクセス
鉄道:JR西日本山陰本線揖屋駅下車徒歩20分
自動車:山陰自動車道東出雲ICより国道9号経由約3km・5分