早いもので、もう9月の中旬になりました。

我が家の周りではちょっと涼しいなと思う日は昼間でもコオロギが鳴いていることもあります。

空を見るとすっかり秋・・・

↓は昨日の空模様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

が、今日はすっかり夏空に戻っています。

さすがに梅雨明け直後のあの焼けるような暑さはもう感じませんが・・・

 

↓は今日の空

 

 

 

 

 

来週末には、先月のリベンジ?で娘ともかちゃんが1泊しに来ます。

さて、どうなることやら。

両親の体調が変化しないことを祈るのみです。

 

 

 

重圧 母の言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、また母が

「三憂の所に行きたい」

とボソッと言うようになりました。

 

以前、3,4年くらい前かなぁ。

その頃にも母はよくこの言葉を口にしていました。

ここ数年はほとんど言わなかったのに、また言うようになってしまいました。

体調が悪い、ということはなさそうです。

漠然とした不安があるのでしょうか。

 

私は子供の頃から

「大きくなったら、四畳半でいいからお母さんの部屋を作ってね」

と言われてきました。

そして、今の家を建てる時、当然のように両親の為の部屋のある間取りを選びました。

ダンナも私の両親の面倒をみることは結婚当初から考えていてくれたようでした。

私がダンナに両親のことについて何か言った事はなく、ただ、「二人姉妹の長女と結婚するのだから当然のこと」と思っていてくれたそうで、それはとてもありがたい言葉でした。

 

8年前の夏、春先から母が体調を崩し、食事と家事をする時以外はほとんど寝ているという状態になった時、両親を我が家に連れてきました。

かかりつけの病院からは紹介状をもらい、担当のケアマネさんにはこちらのケアマネさんを紹介してもらい、両親の生活の基盤をこちらに移した格好でした。

この時、ダンナはイヤな顔ひとつせず、それどころか本当に良く気遣ってくれていました。

ただ、私は、自宅を離れて不安定な精神状況になった父と、常に私を追っている母の視線が物凄い重圧になっていました。

今でも、その時のことが、頭の中を過ると気持ちがどよ~んとしてしまいます。

一種のトラウマになっているようです。

 

その時から、きっと私は両親の在宅介護はできないだろうと思っています。

自立心旺盛で、たとえ娘であっても、意地でも他の人の世話にはなりたくない父と、依存心の塊で娘の世話になる気マンマンの母。

両極端な両親、どちらか一人だけなら・・・とも考えなくもありませんが

おそらく、それでも、私が潰れてしまう・・・そんな気がします。

身勝手と言われれば、そうかもしれません。

 

でも、正直私には荷が重すぎるのです。