黄色いフリージア、昔、母が大好きだと言っていた花です。
その頃は、そんなに気にも留めていなかった花ですが、ここ数年、今頃の時期になると買い求めて自宅で飾っています。
鼻を近づけてみるとほんのり香る、この花の香りが、今では私も大好きになりました。
 
今の母に、この花の名前がわかるかどうか・・・
聞いてみたいと思いますが、やめておきます。
もし わからなかったら、悲しくなってしまうから。
 
 
 
 
 

 

  少し前に・・・

 

「もし、お父さんやお母さんが入院することになって、その時に延命措置について尋ねられたらどうする?」
妹にそう尋ねたことがあります。
実際、二人ともこの7,8年の間に緊急入院したことがあって、その時に病院から尋ねられています。
 
もう20年くらい前になるのかな。
母が
「私は管だらけになってまで生きていたくない。」と
何の脈絡もなく言ったことがあります。
自分が何と答えたかは覚えていないのですが、母の言葉だけが鮮明に記憶に残っています。
 
なので、二人分とも書類には「望まない」に〇をつけました。
父はどう思っているかはわかりませんが、おそらく母と同じでいいんじゃないかと、推測で・・・
 
妹の答えも、私と同じでした。
「二人とも、生きているだけで辛いはずだから、延命はしたくないんじゃないかな。」
そう言いました。
 
二人とも認知症になって、自分がどんどん衰えていくのが自覚できています。
母は
「もうどうでもよくなった。」とか
「だんだん、わからなくなってきた」などと
不安な気持ちをよく口にします。
「今度(三憂が)来た時には、二人とも(死んじゃって)いないかもよ」
こんなことも言います。
「そんなこと言わないでよ」などと言ったら
もしかしたらあり得ると思っているようにとられるんじゃないかと思って
「そんなことを言う人に限って長生きするんだよ。残念だねぇ~」
と、鬼娘の私はいつも答えています。
 
父はいろいろな事ができなくなってきたことをまだ認めたくない気持ちがあるらしく、
おそらくもうできないんじゃないかと思われることを自分でやろうとして、私に委ねることをしないことがあります。
いっそ丸投げしてくれた方が、本人も私もよっぽど楽なのにと思うんですが・・・
 
そして、決定的な事。
7年前、母は入院中に脳梗塞を起こしましたが、発見が早く大事に至りませんでした。
退院後しばらくして、その時のことを「なぜ、放っておいてくれなかった」と恨みがましそうに何回も言いました。
後遺症など全くなかったのに、です。
これは正直言って辛かったです。
私たちは、ただ単純に母が助かったことを喜んでいたのに、母はそのまま逝きたかったというのですから。
それだけ日々の暮らしが辛いということなんでしょうね。
 
だから、妹の言う「生きているだけで辛いはずだから」と言うのも納得です。
でも、両親が時折見せる屈託のない笑顔を思い出すと心が揺らぎます。
そして、残った方に負い目を感じて行かなければならないのかな、とも思います。