2019年3月11日 8回忌によせて | みちしるべ

みちしるべ

人は生まれによって尊からず

その行いによって尊し

かけた情は水に流せ

受けた情は石に刻め

右は極楽 左は地獄

心ひとつが道しるべ

東日本大震災時の日本を海外主要メディアはこう報じた。

 

「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。
犠牲は出たが、他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている」


日本人として誇りを感じると共に、どこか違和感もあった。

大切な人の命を失った人には、慰めにもならない。

犠牲者は震災関連死を含め2万2千人を超えた。

 

当時、思春期だった彼らは’大人’になっていた。

 

(残ってできることもあるし、外に出てできることもある。)

故郷を離れる友人への言葉。

 

(人を助けられるようになりたい)

警察官、自衛官、医療に進む人。

 

(東京でなら最先端の医療を学べる。でも故郷から、家族から離れてしまう。)

迷っていた彼女は震災当時、20歳の自分に書いていた

(お母さんを助けてあげて)

という言葉を見て故郷にとどまることにした。

 

(福島が超好き、土も全部好き)

福島のYoutuberギャル。

’福島’というだけで蔑まれてきた。

そうしたのは’大人’だったという。

 

(歌で故郷を支えたい)

高校生で演歌歌手デビュー。

高校卒業後、夢を追い上京した。

たくさんの’大人’に助けられているとのことだった。

 

(故郷で人の役に立ちたい)
被災地で生まれ育った彼らの価値観。

揺るがない信念を得たなら、傷つき、迷っても、腐らず、潰れず、生きていけるだろう。

やがては地域行政、国政へと、伝播していくだろう。

その頃、あの違和感は消えているだろうか。
 

(人を創っています)

松下電器は営業先でこう言えと言われていたそうだが、震災は皮肉にも人を育てもした。

 

戦後荒廃から、世界2位の経済大国となった昭和。

豊かな生活の中に安穏と生きることが’平和’とされていた。

豊かな生活 ≒ 高学歴+高収入 ≒ 勝ち組、という価値観が支配した。

 

経済成長の代償は、核家族化、高度経済成長期・バブル期・就職氷河期と3世代にわたる分断だった。

平成に入り、ほどなくバブル崩壊、大企業神話が終焉し、分断された世代間の修復どころの騒ぎではなくなった。

日本存亡の危機が足音を立てて忍び寄ってきた。

 

弱肉強食のハゲタカ、詐欺など犯罪の悪質化、地下鉄サリン事件といった犯罪の凶悪化、日本はガンに冒されていった。

「政治が悪い」とマスメディアにミスリードされた国民は平成21年9月16日政治史初、民意によって政権を交代「させた」。

それから1年半、平成23年3月11日、混沌とした時世の最中、東日本大震災は起きた。

 

この窮状はインターネット・TVを介し世に広く浸透した。

震災当時、携帯電話は繋がらないが、インターネットを介したSNSは繋がった事が契機に高齢層にもスマホが普及。

インターネットを駆使する情報化社会に育てれられたゆとり・さとり世代は、情報リテラシーの格差があったが良くも悪くも’覚醒’した。

ネット空間に依存する者、離れる者、戦後レジーム世代は未だ眠ったまま、時代錯誤だった。

 

震災から8年、世の中は明らかに変わったように思えた。

今まで観ていなかった(観えていなかった)世界が見えはじめた。

「主体的に観る世界を選べる」ことが、情報リテラシーの差を生むようになった。

 

世界は、血液よろしく’金’に動かされている。

株式市場は、金を世界全体に循環させる人工心臓のようだし、デリバティブ・信用取引は、実態経済(実力)を超えた、延命措置、ドーピングのよう。

’働く細胞’の如く堅実な人々は、競争が激しくなるにつれ、他者を蹴落とす者が席巻したが、多くの場合この組織は死んだ。

他者を蹴落とし高学歴を目指す’大人’になるまでの教育は、’ガン細胞’になるトレーニングかのようだった。

他者を蹴落とすことに長けた者が、国家の中枢を支配し、司法・立法・行政を司り、教育者はその下僕、末期ガンの様相だった。

ガン細胞に冒された組織・国家は意図的な外科手術によって、統治機構を変え、生かさず殺さず延々、医療費を払い続ける様相・・

 

この欺瞞に満ちた社会のシステムは生まれ変わろうとしている。

そうしないともうこの体(社会そのもの)がもたないほどリスクを抱えてしまった。

かつての日本が評価された武士道、清貧、といった価値観は蘇るだろう。

 

まだ社会に旅立つ若者や、弱った人をつけ狙う毒牙は潜んでいる。

脱皮する時、動きは鈍く最も危うい。

これを守り、育てるのもまた、’大人’の勤め、正念場だ。

自然災害はこれからも尽きない。

オウムサリン事件のような無差別テロを行う’大人’がいることも知った。

 

力無き正義は無能、という先生がいた。

そもそも力とは何だろう。

現代における力とは、創造力ではないかと思う。

もし創造力が自分に無ければそれを持つ人を発掘すれば良い。

製造業、土木建築、芸能界、サービス業、行政、どの業界も創造力を発揮できる世界になってきた。

旧態依然としたままでは、評価されない世界になった。

電球を発明したエジソンも、飛行機を飛ばしたライト兄弟も、数々の家電製品をヒットさせた松下電器も、アイデアを実現させた。

創造力を持つ人は、広める術、カタチにする術、人脈、金脈、それらを埋めてくれる人・組織を探せば良い。

それが人を活かす、という事になる。

逆も然り。

 

生まれる時はひとりで生まれ、死ぬ時もひとりで死ぬと言った先生がいた。

元々、何もできなかったし、持ってもいなかった。

今、どれだけのことができるようになり、持っているのだろう。

最後は全て手放すのだから、必要な人に渡していこうと思う。

時間だけが無為に過ぎてしまう。

時は金なり。

 

誰かを泣き叫ばせてしまうような’大人’、にはならない。

泣き叫ぶ人を横目に通り過ぎる’大人’、にはならない。

人を守り、育める’大人’になろう。

今を生きる場、共に生きる場を創る’大人’になろう。

 

合掌