つい1時間ほど前の8時10分、仙台の弟から携帯連絡があり、てっきり水死か圧死していたと思い込んでいたN伯父が無事であったことを知らせてきた。 ああ…


どこの避難所に身を寄せていたのかは知らないが、父の携帯に留守録が本人の声で入っていたらしい。


昨日はN伯父の弔辞めいたものを書いてしまったが、そこでも書いたとおり、「早とちり」で笑われてしまう結末になってしまった。


そう、それでよかったのだ。


なにはともあれ、生きていてくれた、N伯父は。


**こんなケースが実際に起こっていますので、被災地の関係者の皆さん、どうか最後まで希望を捨てないでください。仙台市内ですら6日間も連絡が取れなかったわけですから、沿岸部の方たちの通信途絶はすさましじいはずです。


さて、これで心おきなく復旧支援に没入できる。自分のために泣く理由は無くなったのだから、これからは人様のために、泣き、汗をかき、笑えるようにしていかなければ。数多くの犠牲となられた方のことを思えば、生かされている自分の務めはそれしかないだろう。


それにしてもN伯父は強運であった。いち早く車を飛ばして避難したのか。たまたま自宅事務所からそのときだけは街中に出ていたのか。それとも津波に呑まれたけれどもどこかの屋根にでも登っていたのか…… 状況は全くわからない。


弟からの同じ連絡で、透析を受けている従弟の一人が無事に病院に入っていたことも知らされた。これで一族全員の安否が確認できた(はず)。


埼玉の計画停電の暗い闇の中で受けた携帯連絡であった。弟のいる仙台では電灯が点いている。


まだ、待っていよう。待っていてください。