この数日、横になっても眠れず、暗闇の中で長いこと天井を眺める日々が続いていた。


あまりにもたくさんのことが起きすぎた。


自分の中に押さえつけられていた記憶と、今現在の自分の立場で何ができるかという思いの葛藤が奔流・激流となって頭の中を駆け巡る。


それでも、ようやく心が平静を取り戻そうとするとき、必ずまぶたの裏に浮かびあがり、ゆっくりと語りかけてくれるように流れていくイメージがある。


宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だ。


思い起こせば、自分の小遣いで最初に買った文庫本が、田舎の書店に置いてあった角川文庫の宮沢賢治『銀河鉄道の夜』だった。書棚を探しに探して、出てきた古ぼけた本の奥書には「昭和54年9月20日改訂25版発行」とあった。自分が11歳の冬に読み始めた本だ。


賢治の描き出した心象風景が、折に触れて自分の中に生き続けていたことを、これまで何度も自覚はしていたのだが、今回の東北を襲った震災と津波による絶望的状況を目の当たりにすると、無意識のうちに、賢治の描いた世界に癒されたい、浄化されたいと思っていたに違いない。賢治の「銀河鉄道の夜」は、この数日間に起きた状況をあたかも予見していたかのように、普遍的な人間の哀しみを透明な、氷砂糖のような、言葉で綴っている。


そして、自分が科学史をいつの間にか志していたのも、実は「銀河鉄道の夜」に語られていたことを、これまた無意識のうちに自分の中で引き受けていたからではないのか、ということにようやく思い至ったのである。


胸が痛むことに変わりはないが、賢治の言葉を以下に再録させてもらうことで、今回の東日本で起きた災害で命を落とされた方への鎮魂を祈りたい。


「銀河鉄道の夜」より



「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」


「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」


「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでも、みんな何べんもおまえといっしょに苹果[リンゴ]をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」


「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう」


「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしつかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。


おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。


みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。


それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。


けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。


けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。


だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。


紀元前一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。このときにはこうなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、 ……


さあいいか。だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。


ああごらん、あすこにプレシオスが見える。おまえはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」


そのときまっくらな地平線の向こうから青じろいのろしが、まるでひるまのようにうちあげられ、汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかかって光りつづけました。


「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」


ジョバンニは唇を噛んで、そのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。そのいちばん幸福なそのひとのために!


「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」


(pp.232-234より)