2011年5月31日。日帰りドライブで多賀城市~高砂周辺の状況を見てきた。打ち合わせの合間に時間ができたので、下記の写真を撮りながら、移動した。


【高砂 - 若林区沿岸部】


震災・津波から2ヶ月半を経過しながら、宮城野区・若林区の沿岸部一帯はいまだ復旧作業に没入しなければならない状況である。岡田から閖上に抜ける道は、途中までしか一般車両は通行できない。「復興トラック」の表示を掲げたダンプトラックばかりがものすごい勢いで駆け抜けていく。


運転をしながら何枚かを撮影。



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閖上方向へ


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六丁ノ目方向


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いまだ撤去作業が追いつかない状況




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このあたりは、一面の水田地帯であった


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海岸から2キロ程度離れた場所でも、信じられないような大木、瓦礫が山となっている。



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【多賀城市内の瓦礫置き場】


自分の出身校である多賀城二中の校地脇に、瓦礫置き場が設定されていた。この時点で素材ごとの分別がなされ、タイヤ・木材・畳・家電など、それぞれの山が築かれていた。




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いまや瓦礫置き場となってしまったこの場所に、「ゴミを捨てないでください!!」の呼びかけは虚しい…



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ただ膨大な瓦礫の山を見るばかりであるが、数多の人々の生活へ想いを致さねばならないことは言うまでもない。記録写真として。


【多賀城政庁跡へ】


さらに時間があったので、多賀城政庁跡まで足を延ばした。初夏の緑と涼しい風にホッと癒された。



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政庁跡から仙台港方面をのぞむ。


写真の左端の鉄塔付近が、津波に襲われている。手前の高速道路が三陸道。1,000年前の地震の時には、この道路のあたりまで津波が押し寄せたはずである。


いまだ津波の爪痕が残る沿岸部と、何事もなかったかのように草木をまとう千年以上前の遺跡。吹き抜ける風にじっとたたずむばかり。