凡例

・以下の記録は、2011年7月17日から、2011年8月30日までのTwitterでの呟きを主題別にまとめたものの一つ、「震災と支援をめぐる雑感」である。

・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採り、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は除外した。

・各呟きは、ほぼ時系列に沿って提示している。("2011.07.17. at 15:23:10" で呟いた日付と時間を指示する。)

・その時々の印象を呟いたものがほとんどであるので、後に諸状況の変化が生じて事実とずれてしまった記載も認められるが、その時点での記録として収録している。
・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めている。
・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。
・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出しを付けた。


本文


車の免許を取る時に、95%安全ならいいよ、と教える人はいない。安全運転は完全を目指す以外にない。人の心と命に関わるボランティアも同じ。失敗は許されない。参加者にその心構えは絶対に必要。失敗した時の処理をマネジメントとして考えるのがリーダーや代表の仕事。 (2011.07.17. at 15:23:10)


今回、新車の契約でオプションで付けたのは緊急脱出セット。シートベルトカッター、ガラス割ハンマー、二酸化炭素消火器が一つになった優れ物。これとバッテリーケーブル、三角標示板を付けて、緊急対応能力をアップ。被災地では自助努力が原則。以前、佐渡島でパンクして青ざめた苦い経験あり… (2011.07.17. at 14:19:46)


悪いヤツは、大ニュースの陰でこっそり重大発表するものだから、気を付けないとね。 (2011.07.18. at 09:38:12)


真夜中をいいことに、寝言として叫ぶ。「バカヤロー!被災地を放置して世界遺産にするつもりかーっ!!」 (2011.07.21. at 04:19:34)


どうも前の席に座っていて福島で降りられたのは国会議員の方らしい。テレビにしょっちゅう出ていて有名だよ、と娘に教えられた。けど、名前知らない…(^-^; どなただったんだ?まあ誰であれ、その職にある方、被災地のために、どうか粉骨砕身お願いします。 (2011.07.24. at 10:44:22)
※新幹線車中で。福島県選出の議員、玄葉氏だったことに後に気付く。


宮城県民約230万人の内、仙台市民が約100万人。人口・経済、一極集中どころの話ではない。その周辺である過疎地域を今回の震災と津波が襲った。仙台の街を歩く度にその事実を思い知らされる。 (2011.07.24. at 19:03:31)


仙台と言えば伊達政宗、という公式を打ち砕かない限り、宮城の観光資源は発掘できないだろうね。全部が全部、政宗公におんぶにだっこなんて、政宗公もあちらで苦笑いされていると思うよ。 (2011.07.25. at 14:20:11)


人間にとって、今回の震災の余震の長引き方は尋常ではないと見えるが、地球規模の時間単位ではほんの一瞬。我々の記録と言っても1000年分ぐらいの蓄積しかないし、考古学的な地震の痕跡調査も日本全土を網羅しているわけではない。この地域にいる以上、今更ではあるが地震への覚悟は絶対に必要。 (2011.07.25. at 20:25:19)


色々な情報を追いかけ続けていると、心弾む話ばかりではなく、とんでもなく心が折れてしまうような話題も避けて通れない。自分の心の弱さをあらためて実感し、今後のことを考える。……それでも、〆切は待ってくれない。 (2011.07.25. at 21:50:15)


今日中に多分5000ツイート達成かな… よくここまで続いたもんだ。そして、5000の発話もしない内に、新しい多くの人たちとの出会いがあった。不幸な震災をきっかけに始めたツールであったが、この出会いには心から感謝したい。 (2011.07.26. at 16:31:38)


この八月、もしこの調子の気温のままだったら冷房や扇風機要らなくなるなあ… 冬物支援考えとかないと。あと一月したらこたつの準備だし… (2011.08.01. at 12:08:21)


帰宅。今回も被災地を歩いたが、歩く度に全く同じ印象を持てないのは当然としても、やはり津波の巨大さを思い知らされた。今回初めて岩沼~閖上沿線と、南三陸町(志津川地区)を実見した。これまで見た宮城県内も含めて言えば、何度も言われたことだが、この津波は我々の津波概念を遥かに超えていた。 (2011.08.01. at 19:31:29)


今回、初めて南三陸の現場を拝見したが、ここまで現場をきれいにされた皆さんのご努力に敬意を表すると共に、入谷地区付近まで波が来たことに驚いた。被災地地図の情報では分かっていても、実際の現場を見た時の衝撃は大きかった。ここまで津波が来るなんて、予想できるはずはない。正直、そう思った。 (2011.08.01. at 19:52:19)


確かになあ~ 仮設の中で相互扶助体制築けというのは無茶だなあ。アルコール依存もそうだし、過剰な物資蓄積もある種の依存。どこまで専門家の外部支援が介入すべきか難しそう。それよりも、人手が足りないんだな… (2011.08.03. at 08:56:43)


福島民報の除染記事、削除されてたんだね。そりゃそうだな。 (2011.08.05. at 08:11:46)
※EM菌を利用した除染活動を報告する記事について。


こういう時代に巡り合わせてしまったんだなあ、という個人的感懐と、それでもやはり、現実は人間の事情などお構いなしにいつもどおり動いていくという気持ちの間のギャップで、今日もまた行ったり来たりしながら考えていく。 (2011.08.06. at 03:42:54)


故郷周辺の被災地に行くたびに、何とも言えない絶望に襲われる。ボラのプロであれば、被災地に赴く際、ある程度人間的な感情を押し殺して対処することは必須であろうが、当事者にはなかなかそれができない。それでも行かねばならない状況に陥り、苦悩している普通の人も、数多くいるに違いない。 (2011.08.06. at 04:23:38)


国際金融畑の知人と話をした時に、印象に残った一言。「貧困に耐えられるかどうか」…行き着く先がこれであることを、果たして制度設計やビジョンの中に組み込めるかいなか。重いなあ… (2011.08.06. at 05:25:02)


見事なまでの政策的不作為が、後世の視点でどう描かれるかということでしか意識できない。職業柄避けられないのかもしれないが。何かは確実に変わっていくに違いない。だが、それが見えるためにはどんな時代でも数年間は必要なのかもしれない。 (2011.08.06. at 05:58:16)


まともな思考のできる時間の半分を、既に生きたと思う。この現実を前にした時、最早読みきれない本を選別して処分することで、知の還流に寄与し、なけなしでも活動資金を得ることの方が良いのではないかと思いつつある。 (2011.08.09. at 03:16:29)


今日は、朝から暑い。5ヶ月目の今朝。またここで、これまでの問題点の反省と緊急の課題の洗い出しが必要だろう。 (2011.08.11. at 05:33:10)


震災5ヶ月目の雑感 思い付くままに


(1)被災地自治体の想像を超えた災害の発生。従来基準への信頼崩壊、防災意識の急変(2)救援初動体制の制度的限界。機能壊滅自治体のサポート体制欠如。救援要請の縦割り構造の弊害。 (2011.08.11. at 05:40:14)


(3)住居の全半壊認定基準だけが被災者のQOLを測る尺度となる弊害(4)長期・広域災害への対応不備[官民とも](5)限界集落を集合させた広域自治体の悲劇 (2011.08.11. at 05:45:39)


(6)マスコミ報道は激情を煽る一方、記憶の風化を助長もする(7)疑似科学をも交えたデマ、風評の拡散(8)[宮城の場合]仙台の都市機能回復と沿岸被災地復旧のスピードの格差。被災地空洞化を助長しかねない。だが実は被災地としての仙台市の行政は遅滞気味。 (2011.08.11. at 05:57:38)


(9)まだ何一つとして終息していない現実。そしてその抑圧から逃避したい意識の醸成。(10)ボラ組織運用の効率化。ボラに頼る意識の薄かった住民と、連携経験の少ない行政、五月雨式に現地入りするなんちゃってボラ (2011.08.11. at 06:07:53)


(11)阪神淡路との違い。復旧・復興後の産業的、地域的なグランドビジョンが描けないこと。阪神の時は災害前の水準に戻すことが第一の駆動力になった。(12)まだ災害の全体像を総括するには時期尚早。むしろ危機は途切れることなく起こり得る。 (2011.08.11. at 06:22:27)

   震災5ヶ月目の雑感(了)


「被災3県不屈の歴史」(読売・本日朝刊)と言われてもなあ、全体的な状況は九州との類似性も多いし。東北だけ特別?東京の後背地として労働力、エネルギー、食料の供給地でしか認められなかった地域の実態を「不屈の歴史」の一言でまとめるか… (2011.08.11. at 07:25:21)


多賀城の育英付近で今夜、花火ですか… あのあたりの田んぼも津波をかぶって空き地のままだったからね。なんか複雑な気持ち。新田辺りはちょうど花火が大きく見えそうだな~   (2011.08.11. at 09:31:25)


また節目の一ヶ月を迎える。マクロレベルでの対策が何か為されるには十分な期間であったはずなのに、数万人単位の困窮者が放置されている。復興の声を上げるべき地元の人に、ビジョンすら示せない。ビジョンが無ければ、一過性の支援を続けていくしかないのも現実。追悼の時にあたって。 (2011.08.11. at 14:10:18)


あの時間をあの地震の時にいたコンビニで迎えた。追悼。調布は夕立が降り始めた。 (2011.08.11. at 14:50:53)


今、東北道って帰省ラッシュピークなんだろか?今年は色んな意味で、帰らなきゃいけない人たちがこぞって東北に向かっていると思えば… 渋滞の中の皆様、お疲れ様です。 (2011.08.11. at 18:23:20)


日本の葬列と祭列って、何となく似てるような気がする。今年の夏祭りは、特にそんな印象を持ってしまった。鎮魂なんだろうか、ベースにあるものは。 (2011.08.12. at 01:12:33)


地震との長いお付き合いなのね… 古い文献で見た300年前の宝永群発地震・富士山噴火とパターンが似てるんじゃないかな。そんな気もしてきたが、ともかく注意が大事。 (2011.08.12. at 03:53:46)


武蔵野の面影を残すキャンパス内、今の時期は蝉が大合唱。今朝は早くも鳴き始めている。ということで、こちらもそろそろ帰るか… またも地震が起きぬよう、祈るしかない。そう、祈るしかないんだな。 (2011.08.12. at 04:48:29)


あと1、2年は地震が無くならないものと覚悟しておかないと、やってけないな。記憶の風化?太平洋側東北はありえないね… (2011.08.12. at 05:28:49)


こんな頻度で地震や津波が起きたら、末法思想が蔓延するのも当然だな、平安時代とか。 (2011.08.12. at 05:40:53)


そういえば、貞観地震の後の多賀城って正確に言うと「復興」したのかな?同じ規模の街区が再現されたんだろうか?調べてみないと。 (2011.08.12. at 05:46:57)


東北道が例年にない帰省ラッシュかな。事故もあったようだからなおさらか。東北行きを14日にしておいて正解だったかも。事故だけはどうしようもないけど。何があっても安全運転を。 (2011.08.12. at 06:01:37)


この震災によって、何についてであれ価値観を変えた人がいる一方、まったく価値観を変えないように見える人がいるのも事実。人間、そんなものなんだな。 (2011.08.12. at 09:08:28)


いつしか、マスメディアで作られたイメージだけで震災を語る時代が来るだろう。毎年、新しい画像や動画が発掘されるに違いない。美しい空虚さ… このイメージは一体何なのか。安全な場所にいた自分の中に、もはやご遺骸のイメージは完全に欠けている。その現実の襞をこれからも重ねていくのか。 (2011.08.12. at 23:46:31)


去年までの盆の恒例行事は子供たちを連れて宮戸島の縄文村で体験学習させることだった。勾玉削りや火起こしなんかは大人の方が気合入れてしまうものだった。あのあたりも被災しちゃったんだよなあ… (2011.08.13. at 17:00:25)


被災地へ


予想していたとはいえ、東北方面への今年の帰省ラッシュはすさまじい。被災地の高速無料化も拍車をかけたに違いない。東北自動車道の栃木県内で70㎞の渋滞が発生するなんてありえない。那須高原から宇都宮までの60㎞よりも長い距離の渋滞?! それで、私はこれから向かいます。 (2011.08.13. at 20:55:34)


今回、初めて被災後の野蒜(東松島市)を走った。夏休みに、家族を乗せて走ったこともある河の沿道が、無惨に変わり果てた姿になっていた。ああ、ここも… と心の中で絶句。 (2011.08.14. at 18:38:54)


野蒜小学校で積み降ろしの手伝い。作業前に、体育館に設けられた祭壇でお焼香と黙祷。この体育館を津波が襲い、逃げる間もなく数百名近くの方がお亡くなりになった。心から冥福を祈った、いや、ひそかに泣きました。床板は数枚剥ぎ取られ、舞台の下は空洞のまま。時計もその時間で止まっている。 (2011.08.14. at 18:56:40)


その祭壇の脇には、亡くなられた方の遺品も残されていました。とりわけ子供の靴、ランドセル、ノート、衣類が、… 同じ年頃の子を持つ身として、胸が張り裂けそうでした。避難の時にすら、ランドセルやノートを抱えていたこの子たちに拙い哀歌を。「逝きし児の 黒きカバンに 夏の雲」放虎 (2011.08.14. at 19:13:28)


この野蒜小学校ですが、これから、東松島市の宿泊もできるボランティア活動の拠点として使われます。今日も、各地からいらしたボラさんたちが花壇の整備や物資の搬入に大忙しでした。鎮魂の場と復興の拠点を兼ね備えた場所として、野蒜小学校は生まれ変わるわけです。 (2011.08.14. at 19:56:16)


今年の盆。菩提寺は宮城野区の西光寺で、津波を受けた岡田や蒲生に檀家が多数。案の定、新盆のお宅も多く、各檀家に配るお札が足らなくなった。一家に一枚なのに、それを知らない檀家が仏様の数だけ持ち帰ってしまった。我が家の分も足らなくなり、檀家総代から一枚もらった。 (2011.08.14. at 20:15:33)


墓参りはいつも通りだったが、倒壊・転倒した墓石が多数。今更ながらに震災の激しさを知る。すれ違う地区の人たちの会話も、うちは家が半壊だったからまだよかったのさ~、と交わす挨拶が、そもそも尋常ではないのだが。墓石まで直す余裕は無くて当然。うちの三基は従兄弟たちが自力で直してくれた。深謝… (2011.08.15. at 11:31:56)


生まれて初めて歌津入り。宮城県民なら一度は遠足などで魚竜を見に来てもよいはずなのになぜかご縁が無かった。R45の100km地点を過ぎ、感無量。この国道がやはり今回の津波災害の象徴になるんだろうなあ。 (2011.08.15. at 13:23:15)


今日、一時間、南三陸町の街を見つめた。あらゆるものが秩序を失い、その姿をさらす。だが、物自体ではない。語るべき言葉と心を瞬時に喪失し、眇々(びょうびょう)と水際まで横たわる中に有るものは、がれきの一語を拒絶する、冷たく鋭い意志。だからこれからも生きる。そんな思いがよぎる。 (2011.08.16. at 00:02:47)


このお盆は、例年になく、様々なことを考えさせられた。沿岸部に散った一族ながら、犠牲者の出なかったことには感謝の言葉もない。3.11の時に偶然旅行していたり、すんでの所で車から脱出した身内がいた。私も、自分の蔵書で圧死していたかもしれない。偶々生かされているという事実を忘れぬことか。 (2011.08.16. at 10:05:45)

   被災地へ(了)


人間というものは問題の渦中から離れると急速に無関心になる。学校を卒業したら、誰しも苦手だった科目をひとまず忘れようとするだろう。必要に迫られた時に、再びそれを学べるルートが開かれているかどうかが大事。震災の記憶の風化に対する態度も同じなんだろうな… (2011.08.17. at 00:28:32)


誰のために戦っているか分からない、しんがり戦の中にいるようだ。 (2011.08.18. at 09:36:38)


無償ボラが現地雇用の機会を奪う危惧については、新しい義援金の枠組みが必要か。CFWほど大がかりではなく、ボラセンが日給幾ら程度で支払える現地雇用労働の対価を義援金で支払える仕組みがあると良いのではないか。ただ、機会の公平性や制度的な障壁はありそう。識者の助言を頂きたいところ。 (2011.08.18. at 12:24:46)


現地雇用の確保としては、各種公益法人に寄付金で雇用を創出してもらうやりかたもあるかもしれない。私ごときの素人が思い付くぐらいだから、現に実践例があるかもしれない。その周知が課題か。物資支援と並行して、「寄付金・雇用」の循環も回るとよいのだが。 (2011.08.18. at 13:55:09)


TLをつらつら眺めていて、国の政策の現実との解離ぶりにあらためて脱力。国内経済における寄与度の少ない東北被災地は、結局何でも後回しにされてしまうのかと… あまりにも冷酷で近視眼的。ボラの立場から金も回さないとダメになってしまったらおしまいだろうに… (2011.08.21. at 06:25:54)


近視眼的な政策を批判するならば、長期的な展望とは。第一次産業と観光業の振興か?それだけではこれまでの二の舞となる。二つの産業をベースにしつつも、いざという時に首都機能も担えるような独立性と国際発信力を備えた地域育成かな。まだ素人考え… (2011.08.21. at 06:44:21)


それにしても、宮沢賢治という男の言葉と行動に、今更ながら打たれ続ける。なぜあの境地に飛翔できたのか。農村振興を国際的な視野からも俯瞰した発想。日本の一地域「岩手」(いはて)を「イーハトーブ」とエスペラント式に表記することで可能にした地域と国際性の一体化の契機。すごいなあ… (2011.08.21. at 07:13:24)


70年代頃までの東北近世史の研究をみていて、しばしば「植民地的経営(政策)」の語彙が用いられていたことに違和感を持った覚えがある。中央から収奪されるという構造意識が根強かったのだが、果たしてこの意識を克服できるほど、現実は変わったかどうか、震災を経た今、甚だ怪しいと思う。 (2011.08.21. at 07:26:48)


現状をマクロな視点で見れば、国は一体何をやっている!という怒りに満たされる。ミクロな視点に移ると地域やコミュニティーの間で生じている復旧の格差に愕然とする。地震も原発も終息の目処がたたない今、個人は何を為すべきか。そして何を為さざるべきか。迷うばかりの現実に放り出されたまま。 (2011.08.23. at 02:15:57)


生々しい話をすれば、善意を食い物にした腹黒い似非支援者の存在を、チラホラ聞くようになった。氷山の一角なんだろう。トンデモ科学・医療の宣伝活動もすさまじい。被災地の荒んだ心の隙間を狙う許せない輩。どうか全方位的な注意喚起と、まっとうな物質的・知的支援を。 (2011.08.23. at 02:43:32)


以前も呟いたことがあるけれど。人目を引く事件が発生すると、悪い奴はその陰で、こそこそと重大発表するものだから気を付けないと。 (2011.08.23. at 23:39:03)


東京の主要新聞への要望。震災関連記事をせっかく1ページ宛てているなら、お涙頂戴記事、あるいは復興記事だけでなく、被災地の課題や問題点を指摘する記事を同じページにバランスよく載せていただきたい。それだけでも記憶は風化しない。 (2011.08.25. at 08:00:01)


ヒーロー/ヒロインというのは、後で作られるものだからなあ。 (2011.08.25. at 11:33:09)


思い起こせば震災で研究室内部が完全崩壊し、書棚のガラスが4枚も割れた。安全優先で、資料類を無造作に段ボール箱30個に詰めて今に至る。講義の時はその資料を探すのに半日はかかり、ようやく今回研究発表の資料整理までたどり着いた。それで資料作成は間に合わないという言い訳… (2011.08.26. at 22:54:29)


今回も東京から京都まで車で走ったわけだが、この走行距離(約550km)よりも津波被災地の方がはるかに長いと思うと、被災地の課題を単純化できないことはすぐわかる。東名高速道沿線が単一地域と思える筈がない。東北も同じ。 (2011.08.28. at 08:09:27)


被災地の新聞記事を意識して見ているが、怪しいトンデモ科学の主張・活動を無批判に掲載する記事がこれまで数件あった。独立した「科学部」的セクションを持たない地方新聞にこそ、科学ジャーナリズムとの実践連携確立が至急課題であろうかと思う今日この頃。 (2011.08.28. at 08:19:34)


【素人発言】物資の支援と資金の支援を並立可能とする制度的枠組みが必要?義援金で短期的作業に賃金を支払う公益団体に制度的優遇措置を与えて後押しすれば被災地雇用を改善できるのではないか?公的雇用推進対策を待ってはいられない。あらゆる可能性を。 (2011.08.28. at 08:28:14)


【この言い方は許されるか?】「疑似科学」ネタというか、それに類似した怪しい商品は、震災前からも新聞の折り込み広告などで幾らでも紹介されていた。誰かは実際にそれらを購入したり利用していたのだろう。震災によってそれらが露出する場面が拡大して、潜在需要層を掘り出したのが昨今の問題かと。 (2011.08.29. at 14:19:15)


被災地の社会・生活・経済全般を震災前の水準に戻すことを目標に掲げるならば、お亡くなりになった方と流出した人口分をカウントしたビジョンを示す必要がある。国レベルの行政が今のような体たらくだと、ビジョン構築が難しいのは分かりますが… (2011.08.30. at 05:49:08)


自分も研究者の端くれだから自戒を込めて言えば、被災地はどの分野であろうと実験場ではない。自然の変化の観察はともかくとして、人間の生活に関わる事柄において、地元不在の調査・研究はありえない。 (2011.08.30. at 06:00:15)


写真の洗浄ボラが今回の震災では多くの人に感謝されている。大事な思い出が写真でしか再構成できないのは辛いことだが、それですら無くなってしまうのはさらに無念である。個人の記録であれ、人類が残す記録であれ、その保存に関わるのが歴史業界の仕事。もっとこの人たちに注文を付けてほしい。 (2011.08.30. at 06:13:58)


可能ならば、持ち主不明の写真や位牌は被災地の地元か国立の機関で永久保存していただきたいというのが、歴史屋の思い。どこに保管し、どうやって維持するのか?費用は?… 課題はあるが、それこそ、持ち主不明の記録・ご遺品は人類で共有すべき震災の記憶の現物だと思うのです。廃棄せずに。 (2011.08.30. at 06:27:49)