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「パパはこわい、こころのなかにほのおがボッ!とでるから」


そう5歳児は言うとりました。


で、私はどうなん?


「ママはぜんぜんこわくない、おこったふりしてても、こころのなかにポワンとおはながさいてるから」


たぶん、映画から覚えた表現方法で例えているであろう

独特な言語で大人が「叱る」ことについて語った彼女の言葉は

一昨日の夫婦の会話を思い出させました。


「いじめちゃったことがある。

すごく良くないことで、けれどあの頃は自分なりの正義だった」

そう相方は当時の自分の嫌な部分について話したのですが

それは最近ニュースになった痛烈な事件

旭川いじめ事件やNetflixで見ている

いじめにより自殺した女の子の死の真相を探るドラマ

「13の理由」がきっかけでした。


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私自身は

きっといじめられていたのだろうけれど

自分自身はいじめられていたという感覚はなく

誰かに好かれたいとか仲間に入れてもらいたいとか思わず

すごくドライな学生時代を過ごしていたんだと思う。


母も言っていた通り「正義感の強い子」だったようだけど

俗にいう「優等生」ではなく、「裏番」と中学生の頃、裏で噂されていて

何を考えているか分からないアウトロー的な存在だったようで

親友と呼べる友より、趣味の合う友が数人居たという小中高時代でした。


小学生の頃の友達は、「いじめられっ子」になってしまった子が数人で

その子達と仲良くしていると

多くの女の子たちは仲良くしてこないから

彼女たち以外の名前は正直あまり覚えていない。


『セーラー服と機関銃』に憧れてベリーショートにしたから

オトコオンナというあだ名が付いていたけど

どうでもよくて気にかけていなかったせいか

問題児と言われる男の子二人組に殴られたりしていたけど

殴り返していて、流血事件になることもあり、一緒に廊下に立たされていたから

いじめられっ子という感覚が無いのかもしれない。


「いじめられっ子」と仲良くしていた私は、

誰かに八つ当たりする人の弱さに嘆いて

あの頃は特に人間を好きじゃなかった。


そこには父親の投影もあるけれど。


中学、高校時代は、映画鑑賞、コンサート活動という大きな趣味があって、

その為にバイトに勤しんでいたから

学校は人生の「習い事」程度の考え。


ある日、クラスで無視されても、親友が居なくても、

どうにもならないくらいの苦を感じずに過ごしていた気がします。


学校に行きたくない日は偏頭痛が併発し、

家で寝込んでたから、脳は正直なのです。


これはあくまでも私の場合だから、

人それぞれ痛みは違うし経験も違う。


人の言葉に敏感なのは相方のほうで知る限り人に優しい。


私は良い言葉も汚い言葉も、色んな言葉を知り過ぎて

逆に鈍感になっているのかもしれない。


だから叱ることも怒ることも注意することも下手なのかもしれない。


それでも自分の子に思うことは

心が叫んでいたら無理してでもそこに留まる必要はないし、逃げて欲しい。

話せる人が居るなら話して欲しい。


好きなことがある場所へひとりで行けないなら

連れて行ってあげたい。


好きなことを探している最中なら

一緒に探したいと思うのです。