木村拓哉さんに会った時

この人はスゴイと思ったんです。


会った瞬間に

「伊藤さんよろしくお願いします、木村拓哉です」

と言って来たから。


沢山の人に会うし、覚えなければいけないことがあっても

目の前の人の名前だけは言えるように。


何かのインタビューで後で知ったけれど、スタッフの名前も

言えるように意識しているって書いてありました。


私も色んな現場で沢山の人に会う。


なるべく言えるように、そば耳を立てて覚える。


その理由は、時々、自分が透明人間になる感覚を覚えるから。


MCという仕事をすると、タレントや俳優との打ち合わせで

目の前にいるのに、紹介もされず

名前を呼ばれずにMCとずっと言われながら

進行説明をされることも時々、体験するんです。


きっとその人は無意識に目の前のタレントへの配慮ばかりを意識して

一緒懸命、説明しているんだろうと思うんです。


もう長いこと、映画のMCになったり

ゲスト解説の立場になったりを繰り返すと

人に格差を付けるのは、その人の無意識のバイアスなんだと

考えてしまいます。


名前のない人なんて居ない、大切にしなくて良い人なんて居ない

感謝して生きていきたいけれど

目が行き届かない、覚えきれない。


それでも出来る限り、気づける限り

人に感謝して交流したいと

とても多くの人と出逢うから思うのです。


毎回そんなことに気づかされては

自分の至らなさに反省するのだけど

そんな時、『ミセス・ハリス、パリへ行く』を試写で見て

大好きになりました。


未亡人で家政婦のミセス・ハリスが、幸せな気持ちになれる為に

必要と気づいたのは、仕事先の家で目にした

クリスチャン・ディオールのドレス。


彼女は、一生懸命お金を貯めて

そのドレスを買いにパリへ向かうのです。


生まれも育ちも平民で、ディオールのオートクチュールドレスを買う

貴族のような身分では無いと皆、笑うけれど

働いて一生懸命貯めたお金を手にした彼女に、

高級ドレスを着る権利は無いのでしょうか?


真っ直ぐで、志高く、貪欲でもなく、

ただそのドレスが買いたいだけのミセス・ハリス。


困った人に手を差し伸べ、時にはドレスを譲る心の余裕もある彼女。


格差なんて人が勝手に作り上げた自分を優位に見せたいもの。


誰かを讃えるのに、誰かを落とすのは愚かなこと。


周囲の皆がいなければ、自分は輝けないと思うこと。


ディオールのドレスを作るのは平民のお針子たち。


どんな仕事も、誰かを輝かせる為に多くの人が関わっている。


だから感謝と敬意をはらって生きたい、そう胸に誓います。