ブログ、随分とご無沙汰でしたが、LINE Blogが終了すると聞き

ここでの書き納めに大事なことを書こうと思います。


昭和生まれの私は、案の定、厳しすぎる父親との生活で

テレビも規制され、政治かニュースか、スポーツか

映画放送しかほぼ許されない10代を過ごしました。


唯一、アニメを姉との交渉で少し観られていたくらいというか。


当時は映画チケット代も安く、二本立ても多く

お小遣いやらバイト代で映画館通いを始めました。


お陰で映画好きというか、映画しか趣味にならない

人生を歩み始めるんですが、映画の仕事を始めて

様々な不思議を体験しました。


テレビで映画を紹介するにも女性であると、外見が女性ウケしないとか

アナウンサーのような服装にした方がいい、という

男性のお偉方からのお達しがあったり

若い女性から映画を語られるのは不快、と

テレビに出ている大御所タレントの方から言われたことも当時あり

あるラジオでは、男性にチェンジした番組もありました。


自分の映画紹介が下手なのか?


だけどコーナーは存続させたい

だから言われれば服装を変え、

更に悔しくて、短く面白く伝えるスキルを

紙に書いて練習したりしていたものです。


女って色々大変だ。


だけど好きな映画を紹介する場は作りたいし、守りたい。


当時は民放やラジオでは映画コーナーは

「視聴率、聴衆率が取れない」と言われていたので

私が気に入られないと映画コーナーごと無くなる

番組もあり落ち込んだものです。


40を過ぎたある年、映画の審査員を

二つの映画賞から同時に頼まれるタイミングがやってきて

どちらも「女性の審査員を増やしたい」というものでした。


女性だから選ばれた。


そこは間違いなく事実であり、けれど私はそれでも良いと思って

そのうちのひとつの映画賞で審査員を始めました。


それでも文化人枠で女性審査員が以降増えることはなく

男性が続けざまに入る状況を見て「売り込まれた」

という言葉を耳にしました。


女性はどうして増えないのだろう。


そこには「知り合いではない」という審査員を選ぶ男性陣の

意見も多く、けれど男女比がこうも違うと

やはり作品賞や監督賞、女優賞において偏りが生まれることに

審査会議の中で気付かされました。


人間、好き嫌いがあるし、苦手もある。


私は男性だからとか女性だからとかゲイだからとか

決めつけるのは嫌だけれど、

当事者しか分からない感覚もあると思っていて、

だからこそ審査員の比率は大事だと思っています。


もちろん、生育環境も違えば考え方も違うので

脳の性別だけで判断するのも間違っているけれど

明らかに「殺害シーン」や「強姦シーン」などに対する

反応は男女では驚くほど違うということが審査会議で

明確になるのです。


そんなことから、こうなったら自分たちで映画賞を作ろう!

そう、映キャン!メンバーの渥美志保さんと石飛徳樹さん

平辻哲也さんに相談して

女性審査員だけの映画賞を立ち上げました。


立ち上げる前の話し合いでは

男女比率を平等にするか?

クィア映画をどうするか?

などについても話し合いました。


けれど、日本映画賞全体の総体で映画賞を見ると

圧倒的に女性が少ないという事実と

女性監督が少ないという事実での

バランスを考えて、あえて女性審査員だけ、監督賞も女性対象

ということから始めようと話はまとまりました。


人前に出る、発言する場、肩書きがつく場に男性が多いのは

何故なのか?


確かに

「自分から売り込むなんてカッコ悪い、実力を見て」

という考えを私も持っています。


もしかしたら率先して「売り込まない」

こともあるかもしれない。


そして異性より同性の方が、何かを選ぶ立場の側の人は

頼みやすく親近感を持つのかもしれない。


何かを伝えるには見るからに威厳がある人の方が

素直に耳を傾けられるのかもしれない。


だけど偏ってはいけないし、事実、世界には様々な人が存在する。


映画を伝える仕事とは、世界を伝える仕事だから

様々な生育環境の人の考えの統計として

映画賞はあって欲しい。


だから私たち「女性記者&女性ライター映画賞」は

日本の映画賞全体と照らし合わせて見てくれたら良いと

思って作りました。


だって女性映画ライターはたくさん居るのに。


この映画賞が、いつかいらなくなる時代がやって来ることを願い。