幼児であれ、
小学生であれ、
こども自身に
「自分は頭が悪い」とは
絶対に思わせない
ということは、
結構大切なことだと思っています。
こどもって
良くも悪くも素直で単純ですよね。
だからこそ、
〝間違えた時〟
〝わからなかった時〟に
「わー私こんなの出来ないよ~」
「私にできるわけないじゃん」
なんていうふうに
短絡的に受け止めてしまって、
「こういうの嫌い」
という学びに対しての嫌悪感や
「私(僕)、勉強苦手⋯」
そんな正しくはない自覚さえ
生み出してしまうことがあるのでは
ないでしょうか。
もしそうなってしまったとしたら、
とっても
〝勿体ないな〟
〝惜しいな〟
と感じます…
幼児期の
知育取り組みでも、
〝勉強〟と呼べる段階に入ってからの
日々の学習でも、
傍らでサポートする親にとって
〝できた時〟の
褒め称え方以上に大切なのは、
〝間違えた時〟
〝わからなかった時〟の
反応の仕方・声のかけ方
そう思います。
なぜなら、
「知育や勉強が
出来る子になってほしい」
という以前に
「知育や勉強が好きな子、
知育や勉強を進んで楽しんでくれる子に
なってほしい」
という大前提があるわけですから、
その逆になってしまう悪しき可能性がある
〝間違えた時〟
〝わからなかった時〟には、
そうならぬよう
親として
できる限りの配慮をすべき
だと思うからです。
わが家では、
こどもが取り組み中に
わからなかった時、
間違えた時には、
という事実、
そして、
「この問題がわからなかったのは
○○だから。」
「これを間違えたのは
○○だったから。」
というように
そうなってしまった理由を
こどもの年齢や理解力、
捉え方の傾向、
その時の内容などに合わせて、
こども達に
しっかり伝えるようにしております。
それはもちろんすべて、
わが子に
自分のことを
〝頭が悪い〟もしくは
〝○○が苦手〟だと思わせないため
のことです。
たとえばこんな感じ。
↓ ↓
【小3長女の場合】
角度の問題がわからなかった時。
👩(ママ)
「角度問題苦手だー💦って思ってる?」
👧(長女)
「ん⋯
ちょっと私あんまり得意じゃないのかも」
👩
「角度問題ってねー、
ママが思うには、
苦手とか得意とかじゃないの。
〝見つけられたかどうか〟
『ウォーリーを探せ』と同じだよ。
あれもね、
得手不得手の問題じゃなくて
細かい所まで必死に探して
見付けられたかどうかで決まるでしょ?
今の角度問題もさ、
〝二等辺三角形〟を
見付けられたかどうかで
解ける解けないが決まる問題。
○○ちゃんは見つけられなかっただけ。
角度問題が苦手なわけじゃないよ。」
👧
「あ、そっかー。
『ウォーリーを探せ』とか
『間違い探し』って
いくら探しても
見付けられない時あるけど、
答え見たら絶対
〝うわぁーそこだったのか〟って
なるし
〝次のページは見付けるぞー!〟
ってなるもんね⋯。
私も錯角見付けられない時あるけど、
別に錯角理解してないわけじゃないし」
この時は、
『角度問題が苦手だから解けなかった』のではなく
『見付けることが出来なかった
(もっとくまなく探すことさえしていれば解けた)』
ということをしっかり認識させました😊❤
【3歳次女の場合】
そんな時、
素直さがゆえ、
不機嫌になったり、
中には癇癪を起こしたりする子も
いるように見受けられます。
でもそんな時、
ほとんどの場合は、
年齢的な成長度合いが理由で
難しいだけのパターン。
(そのうち必ず出来るようになるようなことばかり)
だからこそ、
それを、
2歳児・3歳児でも
受け入れられるよう⋯
「お姉ちゃんになったら
出来るようになるんだよー」
「ママも
3歳の時にはできなかったんだ」
なんてふうに
明るく(←ここ重要❣️)
〝できない〟
〝わからない〟は普通のことだと
伝えてあげます
更に、
「出来るようになるのが楽しみだねー」
「お姉ちゃんになったら
ママにも教えてねー(見せてねー)」
なんていう感じで
(今はできなくても)
いつか必ずできるようになる自分への
期待感 までもたせてあげられたら
バッチリ
小学生に対しても、
幼児に対しても、
日常生活や家庭での取り組みの中での
#わからない
#できない
#間違えた
などに対して
このように対応していけば、
『勉強嫌い』
『○○に対しての苦手意識』などが
生まれてしまうのを
抑えていけるように感じています
〝○○得意〟
〝○○大好き〟も
沢山つくっていってほしいですが、
苦手意識や
低い自己評価を
もたせない!
それもとっても大切ですね
【長女 小3 ・ 次女 3歳5ヶ月】
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