娘の闘病記58 最後のディズニーシーと家族旅行 | 子供を亡くして~生まれてきてくれてありがとう。

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2013年5月、難病で13年間闘病してきた娘が天に旅立ち、残された私には毎日が生き地獄。でも娘が私に残してくれた20年間の思い出は私の大切な宝物です。娘が描いた絵がhttp://www.pixiv.net/member.php?id=4025133にアップされています。

名古屋から帰って来て、

毎月恒例のディズニーリゾートへ行きました。
娘はランドよりシーが好きなので、
ディズニーシーへ。
これが最後のディズニーとなりました。
でも私はそんな事夢にも思ってなくて、
少なくとも3月の入院の前に、
2月にはランドに行く予定をしていたのです。
 
12月に手術を受けるに当たって、
娘からねだられたご褒美は2つ。
スマホとプレステ4を買うこと。
プレステについては、
欲しいミクちゃんのソフトが
3月に発売されるから、
その時でいいと娘が言ったので、
2月1日、娘のスマホの契約に行きました。
当時我が家は全員まだガラケーだったので、
娘が1番乗りのスマホです。
娘が好きなピンク色のスマホを
買ってやりました。
 
そして翌日の2日から、夫と娘と私の3人、
1泊2日で伊香保温泉に
レンタカーで行きました。
旅館のテーブルに並べられた食事は、
品数も多く、どれも美味しそうでしたが、
娘はほんの少ししか
食べられませんでした。
節分だったので、
娘の好きな恵方巻きもありましたが、
全く手をつけません。
 
夕飯の後「肩が凝った」
という娘のリクエストに応えて、
初めてあんまさんを呼びました。
盲目の女性のあんまさんは、
娘の身体をよくほぐして下さり、
とても気持ちが良かった、
と娘が喜んだのが印象に残ってます。
この時が最後の家族旅行となりました。
それでも私は、名古屋の時と同じく、
疲れるのも食べられないのも、
抗がん剤のせいだとばかり思っていて、
治療さえ終われば、
また元の状態に戻ると思い込んでました。
 
旅行から帰ってきて、
1週間後の火曜日は、
ディズニーランドに行く予定でした。
ところがその前々日の日曜日、
夫が胃腸風邪になり、
さすがに具合の悪い夫を置いて、
娘と2人で夜まで遊びに行けなくて
延期したところ、
娘も胃腸風邪になったようなので、
行けなくなってしまったのです。
 
この時は、娘の免疫弱っているから、
と私がいくら言っても、
夫が家の中でマスクもせず、
普通にリビングで娘とテレビ見たり、
ご飯食べたりするから移ったんだ、
と夫に腹を立てましたが、
もしかすると、胃腸風邪ではなく、
腸閉塞のせいで、
そのような症状が出てたのかもしれません。
 
この頃から、
娘はますます食欲が落ちて
ご飯を食べなくなりました。
私は心配でたまらず、
娘に入院する事を提案しましたが、
娘はがんとして聞き入れません。
そのうち夕飯の後に、
「お腹が苦しい」と
訴えるようになりました。
その時見てみると、
お腹の1部がボコッと大きく膨れていて、
それを私がなでていると、
すぅーっとへこんでいくことが、
何度もありました。
 
なんか嫌な予感がして、
慶応の外来の時、
小児科の主治医に言ったのですが、
「便秘でしょう。抗がん剤の副作用ですね」
と言われて、便秘薬を処方されました。
私は腸閉塞ではないかと言ってみたのですが、
「便は出てますか?」と聞かれ、
「少ないけど出ています」と答えたところ、
「腸閉塞なら便が出なくなるから違います」
と断言されました。
 
私も腸閉塞では無い方が当然良いので、
医師の言葉を信じましたが、
実は私の懸念が当たっていたのです。
レントゲンさえ撮っていればわかったのですが、この時わかっても、
結局どうすることもできず、
入院が早まっただけだったでしょう。
 
2月の終わり、月一で行われていた、
大学のスケッチ会の後に飲み会があり、
娘は喜んで出かけて行きました。
帰りは池袋からバスで帰って来たのですが、
バス停まで車椅子で迎えに来て欲しい、
と娘から電話がありました。
池袋にはバス1本で15分程なので、
今までは1人でゲーセンに行ったり、
友達と遊びに行ったりしても、
迎えを頼む事はなかったので、
ちょっと心配しましたが、
単に疲れただけだろうと思いました。
いや、そう思おうとしました。
なんとなく悪い予感がしていましたが、
私は敢えてその予感を無視して
打ち消そうとしていました。
 
3月2日、宇治の実家から、
大学の近くのアパートに
引っ越した息子の家に、
私は片付けの手伝いに行きました。
娘が「名古屋の千寿の天むすが食べたい」
と言ったので、
帰りに名古屋で途中下車して、
買って来てやりました。
翌日娘は喜んで食べてました。
最近はめっきり食べなくなったのが、
完食してくれたので、
とても嬉しかったです。
 
そしてその翌日の3月5日、
娘は恒例のお腹の管の入れ替えと、
右腎臓に入れたステントの入れ替えのために、
慶応病院に入院しました。
熱が出なければ3日、
もし熱が出ても1週間くらいの、
いつもの入院の予定でした。
これが最後の入院になるとは、
娘も私も思ってもいませんでした。