娘の闘病記59 腸閉塞 | 子供を亡くして~生まれてきてくれてありがとう。

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2013年5月、難病で13年間闘病してきた娘が天に旅立ち、残された私には毎日が生き地獄。でも娘が私に残してくれた20年間の思い出は私の大切な宝物です。娘が描いた絵がhttp://www.pixiv.net/member.php?id=4025133にアップされています。

入院してまずは、
小児外科の診察に行きました。
以前から気になっていた、
食後お腹の1部が異常に膨れる事を話すと、
レントゲンの指示が出されました。
その結果、私の懸念が当たっている事が判明。
やはり腸閉塞を起こしていました。

抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなる際に
回りの組織を引き込んでしまうことがあり、
そのせいで腸閉塞を起こしたのかもしれないし、
腸に腫瘍が出来たせいかもしれない。
それはレントゲンではわからず、
大きな腫瘍ならCTでわかるけど、
小さな腫瘍はPETを撮らないとわからない、
と言われました。

ならPETを撮って下さい、
と言ったのですが、
入院患者は撮れないと言われました。
何故ですか?と聞いたのですが
とにかく病院の規則です、の一点張り。
その時は不審に思っただけですが、
後に『白い巨塔』のドラマの中で
入院患者にPETをしたら病院は赤字になる、
と言ってたので合点がいきました。
結局患者の事より、
病院の経営が大事なのですね。

腸閉塞の事はまた後で検査する、
と言われ、とにかく今は
お腹の管と腎臓のステントの入れ替えが、
無事終わる事が先決でした。
腎臓のステントを入れ替えると、
翌朝まで導尿管をつけなければなりません。
娘にとってかなり苦痛なので、
その日の晩は付き添ってやりたいと思い、
個室を希望したのですが、
小児外科も小児科の病棟も
生憎個室は空いていませんでした。
けれど小児外科の2人部屋なら、
付き添い可能と言われ
そこに入る事にしました。

入れ替えはもう何十回もやってましたが、
娘にとってそれは何度経験しても
苦痛と恐怖だったようです。
廊下で物音がすると
「あ、来た!」
と怯えた表情を浮かべてました。
当時のTwitterにも、
「嫌だ嫌だ」と書いてました。
その後入れ替えは無事済んだものの、
導尿管をつけた娘は、やはり
気持ち悪さと痛みで夜なかなか眠れず、
結局鎮静剤を注射してもらって、
やっと眠りにつく事ができました。

翌日小児外科の担当医がやって来て
腸の閉塞部分を確定するため、
造影剤の検査をしたい、
と言って来ましたが、
夕方面会に来た夫に相談したら
夫は賛成しませんでした。
造影剤が固まって、
うまく排出されない事も
あると聞いたのだそうです。

慌てて担当医に問いただしましたが、
そんな事は稀だし、
固まりにくい造影剤を使うから大丈夫、
と言われました。
そして今後もし早急に閉塞の処置を
しなければならない事態になった時、
予め閉塞部分が分かっている方が、
手遅れにもならない、と言われて、
娘は嫌そうでしたが、
検査する事に決めました。
でもこれは間違いだったのです。

翌日は嫌々造影剤を飲まされて、
娘は検査室に向かいました。
結果、腸は何ヶ所か狭くなっているものの
なんとか通っている事が確認されたのですが、
その後夫が危惧した通り
細くなった腸に入れられた造影剤が、
なかなか排出されず
閉塞が酷くなってしまったのです。

それまでは量は少なくても
なんとか普通に食べる事ができたのに、
この検査の後、娘は食べると
戻すようになってしまいました。
検査の前に食べたカップラーメンが、
娘がまともに食べられた
最後の食事になってしまったのです。