コルマンインデックスの最後の段階である第9サイクルに突入して2日目にしてこの地震。
ここまでするかな~と、地球の圧倒的なパワーに気圧されて、かなりドキドキしていた。
本気で生きてるって感じがする~!!みたいな。
それまでもずっと本気で生きてきたつもりだけど・・・
揺れている最中も、こちらは震度5とはいえ、かなり怖かったし
止まらない揺れに周りにいる人たちも、かなり不安に駆られていた様子でした。
けど!
自分の身に起きたことは冒険チックに楽しみました♪
とはいえ、テレビを見ていると、どんどん被害が拡大してきて、さらには原発まで危険な状況となると、「楽しむ」なんていうと不謹慎なんて言葉が浮かんでくる。
でも、、、不謹慎っていうその思いこそが、宇宙の法則からすると、エゴであり、つまり自分の思いこみに執着する行為であり、そうじゃない、ただ受け容れる事だけなんだ、と気付いた次第。
たぶん、この気付きを導くために、人々の意識、世界を見る視点が切り替わるまで、天変地異や災害は起きるのかも知れない。
どういう事かというと、お互いに助け合おうという気持ちや、自分が出来ることはしようと、停電した信号の交差点で、とりあえずサンダルで家着のままで出てきて交通整理しているおじいさん。
みんな頭を下げて通り過ぎて行ってた。
NZの地震の時も、生きた心地のしない中で、みんな頑張って自分を周りを支えていた事を思うと、目の前がにじんで来ていたけど
それすらも、魂の目的からすれば大きなお世話なんだよね。
全て宇宙の法則の中で、各自が選んで演っている事なんだから。
この視点に早く辿り着きなさいよ
と地球に言われた気がする。今回の地震で。
それすらも、ただ愛して、味わって、しっかり体験しつくす瞬間を積み重ねていけばいいんだよ、と。
何が言いたいかというと
全ては受け容れるしかないと言うこと。
死は不幸だという判断をして、悲しみにこの世界を彩るのも、あなたの自由。あなたが創る世界だから。
けれども、災害に巻き込まれて大変な状況に陥るというのも、その本人が魂のレベルで選んでやっている事なので
あなたが、とやかく、可哀想だとか気の毒だとか、っていう思いを当てはめようとすることも、宇宙の摂理の流れをせき止める意志だ、という事なんだ。
傲慢とはそういう状態のことを言うんだね。
というと難しいけど、要するに起きたことはそのまま放っておけばいいといこと。
どんな状況にあっても、全てを楽しみなさいっていう事の意味が、また少し分かった気がする。
その事に早く気付いて、不幸がっていないで、大変がっていないで、死も受け容れること。
死が悪いことだという判断をしないこと。
全ては、宇宙全体で織りなされる絵画のようなリズム。
その一部の出来事。
もちろん、その中で一人の人間として生きているわけだから、大切な人を亡くしたら悲しいに決まってる。
悲しんじゃいけないんじゃなく、悲しみ抜くこと。
全てを味わうこと。
受け容れること。
そのことを求められて居るんだと、人を思いやる人々の温かさの中で腑に落ちた。
全てこの世界のことは、私たちが考える通りのものとして
そこに在るのだ。
起きたことをただ味わって包み込む。
瞬間瞬間を愛していく。
全ては大きな宇宙のサイクルの中での出来事なのだから、人という小さな単位で
その宇宙が起こした出来事を
「可哀想」
とか
「大変」
とか、思っている暇があるのなら、目の前のことを味わい尽くし
誠心誠意生きなさい。
ただそれだけのシンプルな事を、求められているみたいだ。
地球さんはただ、そこに気付いて欲しいだけみたいな気がする。
気付かなければきっともっと、なぜこんなことが・・・という事が起きてきて
気付かせる出来事として顕現してくると思う。
なぜなら、私たちがそれに気付きたいと思っているから。
気付けば今までとは違う価値観の未来を創れるからなんだよ。
早く目ざめよう。
全ては宇宙の愛によって行われているのだと、全てを愛していこう。
そして愛するとは人間の欲しがる愛情とは違うから、すごく懐が深くていい人である必要もない、身の丈に合った方法でいいんだよ。
それぞれ必要な器を持って生まれてきているのだから。