純愛とは 〜 歴史から見る男女の間柄 1 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ
私は1970年代生まれです。

この時はもう新宿では高層ビル群ができているし、高速道路も沢山あり、
電気水道ガスにアスファルトは当たり前でした。
高度に文明化、都市化した中で、生まれ育った世代です。
訳の分からない内に、文明化、都市化したレールの上を歩かされた世代です。

私が小学生の頃、元気だった祖父がいました。
名前を操と言います。
当時は70代でしたか。
84で骨折からの肺炎で亡くなりましたが、明治末期の生まれで
桜島から大阪を経て立身出世した男でした。

彼が生まれ育った環境、成人期に闊歩していた環境は、
私のそれとは違いました。
何もかも違いました。

当然、男女の仲の捉え方も違いました。
(それがかつて問題を起こした訳ですが)

明治、特に怪しげなオーベイ化思想がはびこった東京から離れた鹿児島ですから、
伝統的なスタイルでいた様に思います。



私が中学の頃でした。
『東京ラブストーリー』というドラマが流行りました。
マセたクラスメイトたちは、萌えてましたね。

あの番組辺りから、ハッキリと日本人の恋愛が変わった様です。
最近では「婚活」という言葉もありますが、
これもこの歪な変化が産んだのかもとは思われます。

私が見ていても、大変キュークツな恋愛観を持っている方は、最近では多いです。
自分に鞭打つのが趣味なんですぅみたいな、尼僧や修行僧みたいな人が多いです。
実際の尼僧や修行僧は、違うのですが。



なので、過去の恋愛・男女間はどうなのか?
見ておきたいと思います。

人が病気をする理由に、性の問題は大変大きいからです。
その性を、余分に過敏過剰にさせる傾向が、
最近の恋愛観にはある気がします。

みんな難しく考え過ぎだよ。
過敏過剰に反応し過ぎだよ。
と思います。

なので、
理解ある方には、これを中和化した方が良いと思います。



さてさて、それでは本題。

「プラトニック」という言葉があります。
日本語だと「純愛」。

だけど、愛という言葉が表に出てきたのは、明治維新から。
それまでは愛は煩悩の単語であり、
直江兼続の愛の兜も、愛宕神社の一字の愛でしかなかった。



つまりは、西欧の異宗教の概念が愛「love」なのです。
これに純愛と被せたのは、やはり明治維新以降。
(建前と本音の大きな落差を上手に使い分けるのが、キリスト教圏の文化です。
その建前を真正面から受け止めたらダメなんですが…)

プラトニックな関係なんて、日本ではそもそも重視されなかったし、
あまりなかったのでしょう。



「肉交なき色恋なんて、私達の国の考え方じゃ、ありゃしませんよ」
と明治前半に活躍した女優は、尾崎紅葉に言った。

尾崎紅葉は、36の若さで胃癌?で亡くなりましたが、
金色夜叉が大ブレイクして恋愛に関しては、一席打てる方でした。

だったら、
「慶応生まれの江戸ッ子の恋愛観なら、
伝統的な日本スタイルの恋愛か?」
というと、さにあらず。
「歴史も伝統も裏付けもない頭だけの考えが、
オーベイに憧れ過ぎた明治期の文筆家によって広げられた。」
どうもこれが実態の様なのです。

結局紅葉は、この叩き上げの恋愛観の人に、論破されていました。

しかし
今と同じで、大ブレイクして流行ってしまうと、
やがてはそれが主流になってしまうのです。

おまけに当時は、廃仏棄釈など浅はかに西洋を模倣した国家統一を
図ろうとしていた時期でしたからね。
恋愛観もそうなって行ったのでしょう。
欧米から生き残るための苦肉の策だとは思いますが。



私達の世代の恋愛観は、少なくとも
和風ではないということは言えそうなのです。




(つづく)




吉田直樹  拝