死を感じて、生きる 下 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

(つづき)


「死を感じて、生きる事は、大事だよ」

と言う話をしていました。


願はくは花の下にて春死なむ 」

という詩がありますが、考える時は、考えた方が良いですね。

できれば、体を整えて、正当に考える。

 




しかし、私達は、結構気まま、わがままなものです。


なぜなら、

「死を感じる」ことが、自然現象で起こると、

素直に受け取れる場合が多いですし、

考えることによって大きなメリットも受けるのです。


が一方、

差し迫る死を感じるきっかけが、

ミスや犯罪に巻き込まれたり、肉親のDVによると、

その人を恨んでしまうということが、起こります。

どっちも「死を感じる」と言うありがたい事態なのに、

一方は恨まず、一方は恨んでしまうのです。

恨んでしまうと言う感情の偏りが強く起こると、

考えが浅くなってしまう傾向があります。

 

 

「他者の介入が強く起こった」と感じている人は、

思い出すと、怒りが湧くとか、身の毛がよかずだとか、複雑な思いになるとか、

感情が大きく動く場合は、みんなDMをやった方がいいです。


DMを完了すると、

そうした加害者に見えた人達も、私達の人生を加速させるために、

充実するために現れてくれた協力者の1人でしかないことが、

よく判るからです。

協力者であると言うことに、心底感謝ができるようになるからです。

他人に対する評価が根底から変わるので、世界観が変わるからです。

世界観が変われば天命も変わります。

当然その後の人生の充実度が、まるで変わります。

他人への評価は、悉く自分への評価そのものですので、

何もかもが変わらざるを得ないのです。

 



これは私自身の経験でもあるのですが、

私は小学生時代一貫して、父から英才教育を受けていました。

どんな英才教育かと言うと、

「お前は、ノストラダムスの予言で、死ぬんだ!」

という英才教育です(笑)

 

ノストラダムス。

1970年代80年代に、流行りましたよね。

飽食の時代を迎えて、エネルギーが余ってきたので、

こうしたトンデモ話が、説得力を持つ時代になりました。


エネルギーが余ると、つまり暇になると、

変なことを信じるのが、人間です。

これは人間の構造だから、仕方ないのですが。

私の父も、その1人でした。

これが、有史以前から、いつの時代にも何度でも、

滅亡論が流行る理由です。

貧しい地域には、まず起こらない考えです。

 

2000年あたりに、父に尋ねたことがあります。

「そうやって守るべき子供を脅すのは、

父さん自身が、ノストラダムスが本当に怖かったからなんでしょ?」

と。

そしたら、「そうだ…」とうつむいて、正直に話をしていました。

父も怯えていたのですね。

 

私としては、未来に展望を持っていたので、

小学校時代に「ノストラダムス!」を言われると、

大変嫌な思いをした記憶があります。

存在価値を否定されたような、誰からも見捨てられたような感覚になりました。

当時、「北斗の拳」というマンガが流行ったのですが、

まさにあの世界観の感じがありました。

どうしようもない、絶望ですね。




だけど、父に言われ続けて、良かったと思います。

なぜならば、その頃描いてた将来の展望は、

自分の命を捧げるのに、ふさわしくないテーマだったからです。

もし自分の命を捧げるのに、ふさわしいと感じるテーマであれば、

ノストラダムスがあろうがなかろうが、どうでも良い話なので、

「世の中はそうなるのかもしれないけど、私はこの道に行くよ」

と言ったはずです。

 

だから、父には感謝しています。

あの時の、子供の発想で浮かんだ将来像に進まないで、済ませてくれたこと。

自分の人生を費やすべき方向が、定まったからです。

小学生という1桁の年齢の時代から、

「どうやって生きたら、自分は後悔がないのか。

短い命を、どのようにしたら良いのか?」

ということを、考え続けることができるように教育してくれたからです。


これは、学校の先生や、優しい肉親では無理で、

身近な父だからこそ可能であった、英才教育でした。

 



冷静に考えてみると、

後年私は死を選びたくるほどに、歯列矯正の後遺症で苦しむことになります。


この時に、人生を諦めずに、生きて行こうと思ったり、

希望を掴もうと、治療術を探し回る力は、

結局小学校時代のこの時に、養われていたことが実感できました。

両親や肉親たちには、こうした探す力も世間知恵もありませんから、

私自身が動くしかなかったのです。

そして結局、その時の感動が人生を変え、今の開業に至ることになります。

図らずとも、私を心底支えてくれたのは、ほかならぬ父の

「ノストラダムス」発言であることが、明白になるのです。

 



この事は父は、直感で知っていたのかもしれません。

人間はことごとく、直感で動きますからね。


結局、私の人生最大の危機を助けてくれたのは、

父の英才教育であったことが分かります。

これが愛の表れでなくて、何なのでしょうか。

 

だからこそ過去に戻っても、

「どうぞノストラダムスを言って、私を脅して下さい。

あなたは何も変わる必要がないし、変わって欲しくないです。

父さん、あなたのそのままでいいんです。

それでこそ、私は生きれるし、愛を感じます」

ということが、言い切れるのです。

今でも、父のもとに生まれて良かったと思います。

 

もし父のもとに生まれておらず、理解の程々ある父であれば、

私の性格と特徴です。

怠け、横暴になり、好き嫌いが激しく、他人を差別し見下し、

その分、本気で生きたことがなく、

ある程度立場や財産があったとしても、

「一体何のために生きているんだろうか?」

と言う虚しい人生を生きていた自信が、あります。

 

他の人にとっては余分で害がある父かもしれませんが、

私にとってはベストの親であり、非常にマッチしている間柄であることが、

確信できるのです。

 

はっきり言える事は、

父がいなかったら、私の人生は充実しなかったということなのです。

当然整体も、DMもやっていません。

 

人生は、本当に上手いようにできています。

美しい、緻密なカゴメ文様のようなものです。

「自分の人生は、かくも緻密に美しく彩られて構成されているものなのか」

と、DMをする度に、感動さえします。

本当にありがたいことですね。

 


 

相手の動機がどうであるとか、

相手がどんな資格があるとか、

相手が誰なのか。

こんな事はどうでもいいことです。

いいじゃないですか、父でも母でも。


自分がどう、メリットとして受け取っているのか。

どうメリットとして活かしているのか。

ここが見えることが重要です。

メリットとデメリットが等分にないものは、

この世には存在せず、

私達だけの頭の中にしかないのです。

等分にあったことを、数えることが、秘訣なのです。

 

理想の動機で、理想の相手で、理想の立場の人が、

理想的なことをしてくれたとしても。

自分がそこから堕落することや、自分にとってマイナスが大きくなる事は、

いくらでもあるからです。

 

考えてみればすぐに分かることではありますが、

私達自身が、

誰かに対して、もしくは自分自身に対して、

「良かれ」と思ってやったことが、

悪い結果になることがあります。

あなたの人生で振り返ってみれば、これはいくらでも出てきます。

ね?


しかしやはり同じだけ、

「悪かれ!」と思って、悪いように、悪意を持ってやったことが、

自分自身や、相手にとって、良い結果になったり、良い方向になった事は、

いくらでもありますよね?


これでも分かるように、意図しようが意図しまいが、

私達は結果をコントロールできていないのです。

生きているのではなく、生かされている存在である証拠ですね。


その出来事が自分にとってどんなメリットがあるのか、

嫌な思い出だと思われることに対してはメリット見つけ出すことが、

より充実した人生を歩くためには、必要となります。


そうすると、自分の人生で起こることが、

美しい緻密さ溢れた芸術であることが、

確信できるからです。

 



ご両親や肉親に、感情がある人は、した方が良いです。

 

(死を感じて、生きる 下)
(感謝)
    
   
セルフ整体道場・新宿天心會   吉田直樹 拝
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