日記に、怒りが湧く | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ
一昨日アップした記事に
「相手に対する怒りも絡まると、よりクヨクヨと考えますよ」
と書きました。

ホテルに到着後、
iPhoneのメモ帳を整理していたら、昔の日記が出てきました。
それは、当時の辛い状況を書いたものでした。
(関係者の閲覧可能性があるので、詳細は伏せます)

忘れていた事柄だったのですが、克明リアルに書いてあり、
当時の混乱の中でも感じていた怒りが、よりハッキリと出てきました。
メラメラッと🔥🔥

「おいおい、寝る前なのに」と思いつつも、
こんな時こそ、ディマティーニ・メソッドです。



「はて、私は、同じことを、
どこでいつ、誰に対しやっただろうか?」
と見ていきました。
25個を超えた所で、怒りが消えました。

そして、自分が大学受験で苦しんでいた時の思い出が、
この人への怒りに変わっていたことを、確信しました。
とんでもない濡れ衣で、人を恨んでいた訳ですね。
自分への自責の想いを転化して、怒っていた訳ですね。
怒りなんて、大体こんなものです。
自分の事情だけで、怒っているので、
相手をダシに使っているだけなのです。

喉元過ぎれば…、という言葉がありますが、
大学受験の時に感じた恥の想いは、時間が過ぎていたので、
忘れていたことでした。
もしくは、見たくないことだったので、記憶の彼方に封印したのです。
日記の当時、思い出したくなかったのでしょうね。

私はこの人のおかげで、
大学受験の変な考えを捨てることが、四半世紀経た一昨日の晩、できました。
大学受験は一応合格して終わらせたのですが、
合格しようがしまいが、自分の中の思いが完了しない限りは、
変わらないんですよね。
断片化したけど、引っかかる思い出がある。
これが自分の人生にブレーキをかけてしまっていることが多々あります。

人によっては、小学校時代の引っ越しかもしれません。
大人になれば引っ越しなんて当たり前だし、何回もしているものですが、
過去の事実そのものより、過去に培った思いが、
自分の人生を左右してしまうことがあるのです。



この後で、
「あの人がそれをして、私はどんなメリットをそこから受けたのか?」
と自問自答して行くと、10個を超えた時点で、
頬に熱いものが伝ってきました。

当時はリアルタイムで進行する様々な状況の中で、
見えていないものがありました。
錯綜をする思いもありましたしね。

この状態から感情が1つずつニュートラルになっていくにつれて、
それまで見えていなかった一筋の光の道が見えてきます。
全てが、符合する瞬間。
推理ドラマのクライマックス最後で、すべての伏線が回収されるシーン。
あの人の意味不明な行動、意味不明な言動が、
何によってもたらされていて、
運命が私に「どうしろ」ということだったのかが、
ハッキリ分かった瞬間でした。

「ありがとう」
この言葉しか見当たりませんでした。

世の中は、私の中に感謝できない部分がある限り、
感謝できる様になるまで、手を替え品を替え、人物を替え、立場を替え、
何度でも繰り返し、示唆してくれます。
何度でも、何度でも、何度であっても。
それに感謝できるまで。
愛であることに、気が付くことができるまで。



また1つ、これで私は自分の人生が進む感覚がしています。
あの人と出会えて良かったし、あの経験があったからこそ良かった。
そう思えて、眠れました。

日記って、良いものですね。
そして、人生って美しいものです。



(感謝)
吉田直樹 拝