さてさて、夜中に東京を出発し、
かなりフラフラに疲れた状態の1日目。
今回は柿坂宮司への取材がメインのため、
なるべく移動時間がないようにと、
2泊分を天河神社の近くで予約したかったのですが、
七夕祭りドン被りということで宿はどこも満室、連泊は
無理。
ってことで、1泊目は洞川地区の旅館、
2泊目は天河神社目の前のペンションに何とか予約をしました。
で、到着早々の1泊目の宿は、
山伏たちの聖地、洞川地区にある
ノスタルジックな(大正ロマン風?)な旅館奥村宗助!
実は何年も遥か昔に、
私が友人たち数名と天河神社にお参りに来た際、
予約して泊まった宿も洞川でしたが(今回とは別のお宿でしたが)、その宿は石器時代的にかなりの年季が入っていて、
何故か、部屋の電気も薄暗く(笑)、
お風呂もとても古くて、
東京のもやしっ子の私はちょいと怖かったのです(笑)。
さらに、素泊まりだったため、現地の食事も堪能せず、
宿の電気の暗さのみが脳内に残るという、
いかん状態でした。
で、「洞川=暗くてさみしい」という勝手な思い込みが
何年も残っていたのだけど、
いやー、今回の奥村さんは素晴しい宿でした(^o^)/
私の古い刷り込みや勝手な思い込みを
完全にブンと一掃してくれました!!
なんといっても、奥村の女将さんの気配りやホスピタリティーが
凄い!
奥村宗助という名前の宿ですが、ほとんど、女将さんが
仕切って、お客様をおもてなししてくれていました。
夕方早々に一度到着した私たちは、また、夜に天河神社の
灯明流し(流さないけどね。笑)を見にいくと知り、女将さんが
「ご飯はどうします? 食べてから行きますか?」と。
そのときの時間はまだ夕方四時半(笑)。すぐってのは早すぎる!
しかし旅館の食事タイムリミットは天河神社の灯明点灯タイムと
丸被り。オーマイガーの助。
しかし、食神の化身、食いしん坊の私としては、
宿の夕食を諦めることはできない。きりっ!
ってことで、五時半くらいに超早めの夕食を食べてから、
再び天河に行こうとなりました。
で、夕食の席に行ってみたら、むちゃくちゃ豪勢なお食事!
天川村の名水(ゴロゴロ水)を使ったおぼろ豆腐の美味さに感涙でございました。
「まだ夕方じゃお腹も減らないし、あまり食べられないなぁ~」と
10分前にほざいていた自分の口が信じられないほど、
山の幸を蛙腹になるほどに堪能したのでした(笑)。
食事室にもたくさんのデコレーションが飾られていて、女将さんが
全部自分で手作りしたのだとか。
できる女は手先も器用なのね(笑)。
女将さんの爪の垢を煎じて、陀羅尼助(洞川名産の生薬)に練り込んで、毎食後に飲みたいくらいですm(__)m
そして、女将さんから「本当はお風呂は毎晩10時までなんですが、
今回は特別に11時くらいまで大丈夫にしておきますよ」と
ありがたいお言葉!! またもや感涙!!
我々が七夕祭りに出るため、夜10時までに間に合わなかったら、他の温泉も終わっているし、東京から来て汗っぽいまま寝るんじゃお気の毒、と思ってくれたのでしょう。
本来は山伏さんがメインのお客さんらしく、彼らは夜1時頃に
もうチェックアウトして修行の山に入っていくそうなので、お風呂の
終わり時間を早めにしているそうです。
いやー、女将さんの優しい心配りに感謝100倍。
さらに、そのお風呂もとても綺麗で快適でした。
あー、東京砂漠に生きているうちについていた心の垢もとれました(笑)。
部屋の窓からは渓流が目の辺りにできるし、河の音に囲まれて
眠る贅沢!!
サハラ砂漠の真ん中で眠ったときと同じくらい素敵な経験。
そして、サハラ砂漠と同じくらいに虫は出た(笑)。
いいんです、それが自然の醍醐味。
サハラ砂漠と洞川は同ラインということは褒め言葉です(^o^)/
蛇足ですが、私は昔、トルコのイスタンブルでゲストハウスの
女将さんをやっていたので、接客業の大変さは多少なりとも
分っているつもりです。
それも、毎日毎日、お客さんがきて、同じように接客するのは
本当に至難の業。
お客さんにとっては1人の女将さんですが、
女将さんからすると、あまた来るお客の一人にしかすぎないから。
仕事の喜びも大きいけど、大変さは計り知れないと思います。
それを笑顔でしなやかにこなしている女将さんは素晴らしい!!
勉強になりました。ありがとうございます!
最後はみんなで記念写真。
また、このお宿に泊まりにきたいと思います!!
はて…、宗助の記憶があまりないのだけど、
ご主人が宗助さんなのかしら?
次回、確認してみます(笑)。