天川村に行ったことのある方ならば、お分かりかと

思いますが、コンビニのようなものはありません(笑)。

 

東京にいると、向かい側にも同じ系列のコンビニがまた

誕生するような、戦国絵巻さながらの様相ですが、

ここは違います。

 

 

我々も、夜に、

「あー、何か飲みたい!」とか、「タバコを買い忘れた!」とか、

「ちょっと食べるものが欲しいね」とか、諸々の煩悩が生まれて

きて、いざ、コンビニとかスーパーマーケット探しに出かけました。

 

が、が、が、が、

 

ない!!!

 

夜八時に開いている店なぞどこにもない!!!

 

ネオンもない!!!

 

おーーーー!! ローソンはどこだ。ファミマならTカードが

使える。いや、セブンイレブンのコーヒーが美味いからそっちに

しようか。

 

なんてこと、一切合財無、です(ちょっと般若心経風に)。

迷わなくて済みます。

だって、チェーン店云々でなく、

コンビニ自体がありませんから(笑)。

ポイントカードなんて貧乏くさい考え捨ててください(笑)。

 

いやー、昔に来たときも店がなくて驚愕したけど、

今もまったくお店が増えておりません。

それって、実は、むちゃくちゃ凄いことで、

贅沢なことなんですよね。

 

東京や大阪みたいな大きな都市に住んでいると、

コンビニも普通、24時間営業のスーパーや量販店も普通、

いつでも自分の欲望(煩悩)が満たされます。

 

でも、時間に麻痺してしまって、昼も夜も概念がなく、

どこに行っても快適な温度に調整されているので、

季節の感覚も乏しくなり、一陣の風にもありがたみを感じず、

不感症な人間になってしまっているのかもしれません(^_^;)

 

話はビィヨ―――――ンと飛びますが、

私が昔、トルコに住んでいた頃、

色々な田舎町にも滞在していたことがあり、

どの家も中がスッカラカーンでほぼ何もない状態に

のけぞった思い出があります。

 

ちなみにその街の一つはトルコ中部のアクサライ近くの

村でしたが、ここはハリウッドのSF映画の舞台に使われる

ような場所です(笑)。

宇宙かいな!!

 

「なんでこんなに物がないんだ??」

と最初はその頃もびっくりしましたが、

要するに物が最初からない生活をしているので、

物がない不便さを感じていないということらしいのです。

 

Aという物が生まれると、Aのバージョンアップした商品が

生まれ、さらにAを変形させたBというものも生まれてきます。

値段もどんどん上がり、もういらないんじゃないかという機能

まで付加されていたり。

 

でも、はなから、Aという物を知らなければ、Aなしで生活

できるんですよね。

 

そして、アナログだからこそ、感じられる喜びもやまほど

あるんだろうな、と。

 

天川村とトルコの村が同じとはまったく言っていませんよ(笑)。

トルコですので、田舎といったら、本気のどこに出しても恥ずかしくないほどの田舎です(^_^;)

でも、人々はとっても豊かな気がします。

 

天川も人工的な明かりがない分、夜空にかかる天の川が

美しく見えたり、流れ星が見えたりします。

車の騒音がない分、虫の声が聞こえて、季節の移り変わりを

五感ですぐに感じる事ができます。

これにまさる贅沢はないように思います。

 

天川にもコンビニが今後できませんように(笑)。

 

ちなみに地球交響曲の龍村仁監督に

天河神社でお会いできました!
 

 

 


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