明智光秀異聞「明智光秀は近江国生まれ!?」 | 戦国未来の戦国紀行

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「光秀近江生誕説」って佐目館=見津氏宅(滋賀県犬上郡多賀町佐目)の話かな。

 

※佐目館:見津さんのご自宅。「見津(けんつ)」さんは、明智光秀の家臣の後裔で、「光秀」の「光(みつ)」を「見津」と表記して苗字にしておられる。

 

 土岐成頼の家臣・明智十右衛門尉(明智十左衛門)が主君に背いて牢人となり、佐目館に移り住んで六角氏に仕えていたが、2~3代後に生まれた明智十兵衛光秀は、初めは父に従って六角氏に仕えたが、優秀であったので、朝倉氏に仕官替えしたという。佐目に住んだのは、明智頼典(光継)─光綱─光秀の三代かな。

 

 そういえば、明智光秀は、「若州鍛冶・藤原冬広の子で、武士になりたくて家を出て、佐々木氏(六角氏)に仕えた」って話もあったね。また、明智光秀の妻は、岐阜県土岐市の妻木城主(妻木氏)の娘ではなく、滋賀県彦根市の佐和山城主(当時は磯野氏?)の娘だとか。

 

 ──明智光秀の前半生を探る鍵は、朝倉氏、六角佐々木氏、磯野氏が持つ?

 

 講師は怪しい郷土史家ではなく、県教委!!!

 公務員だから、学者同様、俗説(戦国ロマン、ファンタジー)は扱えないだろうから、期待できる。

 

※この件について、『近江輿地志略』(1734)、『淡海国木間攫』(1792)に記述があるが、それらの本の記述のネタ本は『淡海温故録』である。

 

※ここ滋賀

https://cocoshiga.jp/events/3088/