明智光秀の流浪 | 戦国未来の戦国紀行

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日本の戦国時代について

 明智光秀は、明智城に生まれ、明智城で育ったが、明智城が攻められて落城すると、越前国へ逃れたという。

 史実は、親戚の家に逃げ、そこに妻子を置いて全国武者修行の旅に出て、築城術や射撃術を身に付けたという。そして越前国の朝倉氏に覚書(諸国の情勢、諸城の縄張り図)をプレゼントし、射撃の腕前を披露すると、喜ばれて召し抱えられたので、妻子を越前国へ呼んだという。

 

 通説では、「全国武者修行は2年。その後の越前暮らしは10年」であるが、『明智氏血脈山岸家相伝系図書』『美濃国諸旧記』では全国武者修行の期間を6年間とする。(子供の誕生年を考えると、6年が史実だと思われる。)

 

 全国武者修行にあたって、妻子を預けたのは、妻の在所(妻木氏の妻木郷)ではなく、桂郷の山岸光信だというが、多良郷(山岸信周の多羅城)説、伊川郷(山岸屋敷)説、中洞(中洞屋敷)説もある。

 

 時代小説の中には、妻子を連れて全国を流浪する姿が感動的に描かれているものがあるけど、それは無い。

 

 いずれにせよ、明智光秀の出自や前半生についての詳細は、明智光秀の子孫たちの家に伝わる秘伝書が公開されるまでは不明であろう。3つの家の家伝は公開されていて、出自についてはだいぶ分かったから明日書く。今日はいろいろあって疲れた。

 

※「明智光秀の謎」といったら、普通は出自の謎や、前半生の謎ではなく、「本能寺の変」の動機の謎である。これについては、もし、明智光秀本人が生きていれば、「織田信長に反逆した人は複数いる。成功したのは儂だけだけど(エッヘン)。反逆や下剋上の一例に過ぎない「本能寺の変」がなぜ注目されるのか、どこが謎なのか理解できない。みんなやってることをやっただけなのに」と言いそうですが。ようするに、「明智光秀の個人的感情」が動機であるのに、「個人的な感情だけで天下人は倒せない」という想像から、黒幕の存在を考えるので複雑になっているのである。(現在、黒幕説は、学者たちによってほぼ否定されたと言って良い。この黒幕説の否定により、真実、史実が見えてくる。)

 

PS.そういえば、今日(11/13)って、天海和尚の命日では?

天海和尚の命日は、寛永20年10月2日。グレゴリオ暦だと11/13。

供養って、旧暦の命日に行うか、新暦の命日に行うか迷うね。←毎日やれ!

天海和尚は土岐舟木氏だから、明智光秀の奥さん(土岐妻木氏)と同族だね。