【『麒麟がくる』紀行⑬】佐目の十兵衛屋敷(『江侍伝聞録』『淡海温故録』) | 戦国未来の戦国紀行

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日本の戦国時代について

木村重要『江侍伝聞録』:寛文12年(1672年)
江州白頭翁『淡海温故録』:貞享年間(1684-1688年)
『明智軍記』:元禄初から15年(1688-1702年)
『近江輿地志略』:1734年
『綿考輯録(細川家記)』:安永7年(1778年)

 

 

 十兵衛屋敷と明智丸(犬上郡多賀町)へ行きたいのですが、遠いので、なかなか・・・

 ルートとしては、三重県桑名市へ行って、西へ進んで鈴鹿越えをすれば、十兵衛屋敷と明智丸!

 

 黄金大橋を北へ(多良を通って関ケ原へ)ではなく、左折して西へ(鞍掛越)。

 鞍掛峠を越えれば、十兵衛屋敷と明智丸で、もう少し西へ行けば多賀大社! とまぁ、言うのは簡単ですが・・・鞍掛峠が・・・。

 

 

 

 

 伊勢と近江を結ぶ鞍掛峠(791メートル)は、その昔「胸突八丁」といわれた難所で私達の先祖が京都本山へ納骨に参った道であり、お多賀参りに寿福を念じた道である。一方、近江の人々にとっては伊勢参宮に下向した街道で、両国の文化交流の道であった。今は国道306号鞍掛トンネル(全長745メートル、標高625メートル)の開通で、ただ昔をしのぶ歴史の道と化した。
 第52代嵯峨天皇の弘仁元年(810)薬子の乱で都を逃れた参議藤原仲成がこの峠を越えて当町西野尻に陰住したという伝説がある。また、峠の名は、第55代文徳天皇の天安2年(858)第一皇子惟喬親王が右大臣藤原良房の追討を逃れ都落ちをせられた時、この峠で馬の鞍をはずして休息をせられた故事にちなんで名づけられたもので、古くは竜華峠とも呼んでいた。天文13年(1544)10月には俳諧師宗牧が江戸に下る際うたった「あとや雪しまきよこぎる笠やどり」の句が残されている。こうした数々の歴史の道が鞍掛峠である。

藤原町教育委員会

 

 

【三重県サイト】「一般国道306号(鞍掛峠)の冬期通行止め解除のお知らせ(H30.3.29)」
 一般国道306号(鞍掛峠)は、平成30年3月30日(金)10時00分から冬期通行止め解除とします。
 なお、鞍掛トンネルより滋賀県側においては災害復旧工事中ですので、通行不可となります。
 (解除区間:いなべ市藤原町山口~鞍掛トンネル滋賀県境) 6.7km
http://www.pref.mie.lg.jp/WKENSET/HP/index.htm

 

【滋賀県サイト】「国道306号の通行規制(通行止め)について」

一般国道国道306号の鞍掛峠(くらかけとうげ)(犬上郡多賀町大君ヶ畑(おじがはた)~三重県境)については、平成28年3月および6月に発生した崩土により通行止めを行っています。
現在、この区間において、法面崩落箇所の対策工事を行っておりますが、引き続いて対策工事を追加実施することとしています。このため、当面の間、下記のとおり通行止めを継続します。
                   記
1. 規制区間. . . 一般国道 国道306号 (犬上郡多賀町大君ケ畑~三重県いなべ市藤原町山口) 
2. 規制内容. . . 全面通行止め(終日) ※ 歩行者、自転車も通行できません。
3. 規制期間. . . 平成27年12月18日(火曜日)~平成31年度初旬(予定)
4. 今後の見通し等. . . 法面崩落箇所の対策工事が完了するまで、当面の間、通行止めを延長します。
http://www.pref.shiga.lg.jp/h/h-doboku/koto_douro.html

 

 

 鞍掛峠は、冬は通行止めなんです。春(4/1)になれば通れます。ただ、2019年4月1日に解除され、鞍越峠まで行けるようになっても、その先へ行けるかどうか・・・ 復旧工事が終わっていればいいのですが・・・平成31年度初旬完了予定ですが・・・

 

 鞍掛峠を下ると十兵衛屋敷なので、鞍掛峠に車を止めて歩くのもいいかなと思ったら、「歩行者、自転車も通行できません」とのこと。要するに、鈴鹿越が出来ないので、関ケ原→鈴鹿山脈の北端と伊吹山の間を抜けて、彦根→多賀大社→十兵衛屋敷と大回りをして行き、帰りも大回りして帰るわけで、時間的なロスが大きい。明智光秀に詳しい人と楽しい話をしながら車を運転すれば、すぐに着く(同伴者によっては時間が足りない、もっと話していたいくらい)かもですが。ただ、国道306号(鞍掛峠)はめちゃ細いから、話ながら運転すると、事故るよ。真っ逆さまに転落するよ。