【『麒麟がくる』関連本⑯】『信長公記』 | 戦国未来の戦国紀行

戦国未来の戦国紀行

日本の戦国時代について

 

 

『信長公記』を読むのは2回め。

今回は固有名詞(地名や人名)をネットで検索しながら読んでるから、1ページ読むのに30分~1時間かかってる(苦笑)。いつになったら読み終わるのだろう?

 

マンガを読んだ方が早そう(よさそう)。

写真は、織田信長の最新の研究成果を取り入れて描かれたマンガ。

内容は織田信長と足利義昭の話。

織田信長の家臣の活躍部分がカットされているのが残念。

内容的には、p.139の萬松寺の説明に「織田家人質時代の竹千代(のちの徳川家康)が3年間暮らしていたことでも有名」とあったのが疑問。有名なの? ちなみに、私は、熱田の加藤屋敷だとずっと思ってた。「柴って学者が監修してるから、間違いない」って言われたけど・・・私の記憶違い?

http://www.banshoji.or.jp/

 

 

 

 

 そういえば、写真の『現代語訳 信長公記』のp.36に、吉法師(後の織田信長)は、「天王坊(17)という寺に通って学問をした」とあり、注(17)に「天王坊=津島神社、津島市」って書いてあったけど・・・そうなの? 津島神社って、「天王坊という寺」ではなく「津島牛頭天王社という神社」じゃないの? 那古野城から津島まで通ったの? 

 「天王坊」は、那古野城内の亀尾天王社(現在の那古野神社)の神宮寺・安養寺の通称では? (ちなみに、津島牛頭天王社の神宮寺は、実相院、明星院、宝寿院、本地堂、観音坊です。)

【参考】戦国を歩こう

http://blog.livedoor.jp/sengokuaruko/archives/52014828.html

 徳川家康は2年間、加藤屋敷で過ごした後、「那古野城の天王坊」で織田信長と机を並べて学んだんじゃないの? ちなみに、私の訳↓

https://ameblo.jp/sengokumirai/entry-12415236915.html