2019年の初仕事は三河国司・大江定基の取材でした。 | 戦国未来の戦国紀行

戦国未来の戦国紀行

日本の戦国時代について

 

 

 続日本100名城の本を無事にGet!

 (コンビニで売ってるとか、凄すぎ。)

 早速吉田城へ!

 

 

 

 

 残り99城!

 

 

 

 

 まずは超メジャーな財賀寺へ。

 分かりにくい場所にあるけど、三河では超有名なお寺で、あちこちに道路標識があり、道路標識を信じれば、迷わず行けます。

 大江定基の念持仏とされる智慧文殊に「頭が良くなって、いい記事を書けますように」と祈願した。

 

 

 

 

 逆にこちらは逆に超マイナーな「為大江定基之苗流同会廟所」碑。

 苗流(大江定基の子孫の冨田氏)の墓所(「冨田家墳墓之地」)だという。

 

 

 

 

 冨田、冨永、長冨・・・東三河の「富」は「冨」だ。

 大河ドラマのメインテーマでお馴染みの冨田勲氏の冨田家(本宿の脇本陣家)との関連は未調査。今日は冨田氏の取材ではなく、大江定基の取材なので。

 

 

 

 

 本宿の脇本陣はボロボロで、ブルーシートをかぶってる。

 上の写真は、赤坂陣屋の陣屋門。

 

 

 大江定基の故地は10ヶ所以上あるので、寄り道をしていると大変なことに・・・(もちろん、昨日は豊川市限定。岡崎市や新城市の故地は後日。冬休みはまだまだ続くので。)

 例えば、「大江定基の墓」。山本勘助の墓もある有名なお寺にあるんだけど、行ったら標識がない! ちょっと探した。時間のロス。事前にお寺の公式HPでお墓の写真を見ておかなかったら見つけられなかったと思う。危なかった。聞いた話によると、ご住職が「寺は信仰の地で、観光の地ではない」と言っておられるらしい。お庭は、井伊谷の龍潭寺の庭を真似して造った素晴らしいお庭で、お金を取れる見事さだと思うのだけど・・・。有名なお寺だけあって、駐車場は龍潭寺と同じくらい広かったが、停まっている車は無し。

 

 

 

 

 豊川稲荷の渋滞に巻き込まれたりで、最後から2番めの目的地に着いた時には日没寸前。(この写真を撮って20分位して真っ暗になった。)最後の目的地は、この歌碑が本来建てられるべき場所。その場所っていうのが山の中で・・・

 

 ──今から登ったら、明日の新聞に「女子大生失踪事件」って載るよね?

 

ということで断念。(この歌碑と大江定基の関係? それは武将ジャパン様の記事「大江定基と力寿姫伝承」を読んでね!)