明智城の落城後、
──明智光秀は母の故郷へ逃げた。
というが、「母の故郷」がどこか分からない。
説①長山氏の支援で、桂郷の山岸屋敷
説②若狭武田氏の支援で小浜市
が有力候補地で、他には、
説③西洞氏の支援で「庵の庭」
説④近江国佐目
がある。
「明智光秀は母の故郷へ逃げた」が史実であれば、逃亡先=母の故郷であって、母の正体が分かり、父の正体にも迫れると思う。ただ、「明智城から明智光秀が母の故郷へ逃げた」は後世の創作で、史実は、「明智城から明智定明が母の故郷・菅沼郷に逃げた」が元ネタだろうけどね。
ある人が「妻の故郷の妻木城へ逃げたんじゃないの? 織田信長の家臣で、金持ちだよ。髪を切って売ったなんて嘘。金持ちだから」と言っておられた。(妻木氏は明智城の戦いに参加してる。落城後、土岐一族は各地に逃げたが、妻木氏は妻木に残り、織田信長の家臣になっている。)
また、「長山氏の支援で、桂郷の山岸屋敷」というが、正確には、「長山信周の支援で、桂郷の山岸信周の屋敷へ」であって、この長山信周と山岸信周は同一人物だという。また、関連して「長江氏」が登場するが、この長江氏も山岸氏のことらしい。しかも、明智氏は土岐氏の分家ではなく、桔梗紋を使う山岸氏の分家だとする系図もある。
Wiki「長江氏」に「清和源氏土岐氏の支流。長山頼基の孫の頼慶(岩手満頼の子)が長江遠江守と称したことからはじまる(『美濃国諸家系譜』)。」とあるけど、長江氏の本貫地という「郡上郡長江荘」なんて聞いたことが無い。長江氏と言えば関東武者。藤田氏同様、関東から美濃に来たんじゃないの? ちなみに山岸氏の本貫地は不明だけど、美濃国じゃない。(加賀国説と越前国説がある。)
明智光秀の母親について取材してたら、おじいちゃんが寄ってきて、
「明智光秀の本当の母を知ってるか?」
と言うので、「美佐保では無く、市でしょ?」と言ったら、「そうじゃ。兄が妹をレイプして出来た子じゃ。それで妹はすぐに嫁に出されたと伝えられておる」と言っていた。おいおい、違うだろ。妹・市の初めての子が光秀ならそうだろうけど、「宮城系図」では二男、「山岸系図」では四男だぞ。歴史を変えるなよ。とはいえ、取材旅行はいろんな人と出会えるから楽しい♥ 実は取材にはとっておきの方法があるけど、それはちょっと教えられない。企業秘密(笑)
noteでサポートがあり次第、八上城へ行きたい! 恵那市の墓へは行ってきたが、記事に載せる八上城の写真がない!