『きっと、うまくいく』(3 Idiots)を知人が褒めていたので観たが、なかなかおもしろいインド映画だった。筋たてはなかなか込み入っており、主役ランチョーの失踪謎解きを軸に彼の友人たちの騒動をコメディー仕立てでテンポ良く描いている。
 
エリート工業大学学生の青春ドタバタコメディー。だが、若者の自殺人数が多いインド社会への批判的な視点が常につき纏うあたりが異質だと思う。試験で上位になることが唯一の目標であり、学友たちとは協力ではなく競争相手であると、大学学長より宣言される。彼ら学生は時間に常に追われる立場を命じられる。
 
学生のなかには、独創性を追求するあまり大学の課題提出期限に間に合わず、自ら生命を断つ者もいる。大学という社会とは別世界の自治、つまり学問の自由を追求する場だが、新自由主義的な競争原理に侵略されているシーンでもあると思う。別の面で言えば、自殺した学生は時間に常に駆り立てられていて、そしてついに時間に追いつかれたとも言えるのではないか。
 
ミヒャエルエンデのモモでは、時間泥棒という人々を急き立てる抽象概念に役回りを設定していて面白い。”「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男達は、「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々から時間を奪う。その魔の手がついにモモにまで及ぶ。” モモは、少女であり庇護される立場だが、計画的にものごとを進める社会のありように疑問を持つため、時間泥棒に追われるとも読める。
 
『きっと、うまくいく』の主役ランチョーは、モモよろしく物事の本質を見つめつつもどこか風変わりで、権威に動じない強さがある。そして、モモが時間泥棒に打ち勝つ秘策はなかなか示唆的で面白いのだが、ランチョー同様に権威への安易な同調をよしとしない反骨精神を秘めているように思う。
 
現実社会の厳しさや資本主義のリアリティーを知らない”幼さ”故の、荒唐無稽さと寓話でコメディーは成り立つ。喜劇王チャップリンの「人生は近くで見ると悲劇であり、遠くから見ると喜劇である」という認識は、『きっと、うまくいく』でも生きているように思う。