京都造形芸術大学教授の浅田彰さんの学生向けの公開講座だと思いますが、ネットで見つけました。

数回程度流し見してていちど文字に残しておきたいと思ってました。

ちょっと、時間と体力と気力があったので、自分のためのメモとして文字におこしてみました。

 

浅田彰・講演(1/2)「ポストモダン文化の現在―伝統・近代・脱近代?」

 

  今の時代のキーワード、ポストモダン。
 ポストというのは、なになにの後でという意味合い。
 79年にリオタールが、ポストモダンの条件を発刊。この書籍以降、ポストモダンという言葉が広がり広く認知される。
 過去を克服して現代がある、一方向の進歩史観。これを大きな物語とデオタールは命名した。つまり啓蒙の物語。闇から光へと導くという発想が啓蒙思想。



 資本主義つまり自由競争は、価値組と負け組とを別ける。そこから落ちこぼれた労働者は負け組のままである。
 マルクスの登場。貧しい人々つまり労働者は解放されるべき宣言があった。啓蒙思想は人類の解放の物語だったが、マルクス主義は労働者の解放の物語とよりシャープに展開された。
 一昔前は、知識人はほぼ左翼主義であることが当然とされる時代だった。

 啓蒙の物語、左翼の物語は89年のソ連邦の崩壊により、大きな物語は終わったとみなされている。

 第一世界つまり米国などの西側諸国は自由主義
 第二世界つまりソ連邦などの東側諸国はマルクス主義
 第三世界つまり中国などの新興アジア、アフリカ諸国。
 89年のソ連邦崩壊により、第二世界の夢は潰えた。そのことにより、第三世界の方向転換が進んだ。

 第二世界の存在感があった時代は、第一世界は社会主義の良い所を取り入れることで第二世界と対抗しようとしていた。労働者の権利向上が図られた面がある。



 資本家と労働者の対立構造という大きな物語が崩壊により注目された政治的主題に、先住民の権利、女性権利向上運動、性的マイノリティの権利向上、エコロジー運動、障害者差別解消運動などが盛り上がる。左翼の革新運動はこのように続いているが、先に述べた大きな物語は失われている。

 68年の米国で、黒人大統領が登場するだろうと予告したならば、笑われていただろう。なぜなら、白人と黒人は同じバスの席に座れない時代だった。同様なケースに女性の大統領候補が立候補するなどといったことも68年当時には想像すらされない時代状況であった。
そのような露骨な差別がまかり通る状況からすれば、米国の変化スピードは圧倒的である。それは政治的主題として様々な権利向上運動の成功も意味する。決して、無視できないモードである。

動画21:00ごろ

しかし、米国の共和党でも民主党でも資本のための政策という路線は変わらない。ただし、資本家が大ぴらに偉そうにすることはなくなった。人類全体の解放、労働者の解放という大きな物語から、例えば女性の物語。女性も様々な生き方があるのだからレズビアンの物語、その中でもHIVのレズビアンの物語、さらにHIVでユダヤ人のレズビアンの物語といった具合にものすごくマイノリティたちが細分化してゆく。そういったマイノリティの運動は可能な所では連帯しながら、基本的にはバラバラに活動してゆく。

大雑把にまとめると、リオタールという人は人類が迷信を打ち破って歩みだしてゆく啓蒙の物語。それをシャープに研ぎ澄ませた物語として資本に対抗する労働者の解放といったものを大きな物語として提示した場合に、それが68年や80年代ごろから信憑性を失う。そして、小さな物語がバラバラに浮遊しているような世界状況をポストモダンと呼んだということ。

動画23:20ごろ
ではこの段階で文化のほうはどうだったのか。

。。。

 

ここまでで、力尽きそうなので一旦終えます。
また、時間があるときにゆるく書き出ししようかと思っています。いつになる分かりませんが。