とても難しい問題にまた

疑問を持ってしまった。





そんな結構きもい性格なわたしなんだけど

もう結論から話すと

「そのやった行為を相手に気がついて欲しいのか

別に気が付かれなくても気にしないのか。」

という所にも大きなラインがあると思った。





要するに努力とかにも似てるかもしれないんだけど

人って評価されるのがとても嬉しい生き物だから

承認欲求って言葉がこの世にあったりして

SNSに何してるとか上げて

やってることを評価して欲しい人もいれば

別にそれは上げるほどの事でもないという

そういう価値観の中で生きてる人もいるわけで。





まぁね、あれだよ

SNSに上げてるって話を出すとまたややこいけど

仕事とか、広告で上げまくってる人もいるから

それはお仕事っていうのはもちろん

別の話だけどね。

各々の個々の気持ちの上で

あげたい人がいてっていう話をしたらのことね。





感謝されたくて気が付いて欲しくて

自分が気遣える人間だと自分で思いたくて

そして人からも思われたくて

そういう人の真似をしてやっているのか

はたまた

「これは私の自己満でやりたくてやってる」

っていう気持ちで

これやってあげたらもしかしたら喜ぶかな?

というマインドでやっているのか。

意外と自分で自己満だと思ってる人の方が

人に気が遣えてたりする。





私の周りにいる人達にも

自己満で気遣いしてくれる人達が多くて

出来るだけその好意に気が付きたいマインドで

生活してるんだけど

そういうことをサラッと言える

サラッと行動できる。





そういう人ってかっこいい。

めちゃくちゃ。





そういう人に限って

余計なことは言わないようにしてる気がして

口から出る言葉は

自己肯定に走る言葉も少ない。

「やっぱり私が合ってた!」

ということを認めて欲しくての言動だったり

「こうするべき!」

という言動もほぼ無い。





ちなみに私の口癖は

「ほら!言ったじゃん!!!」

ダメな例です。←





話を戻すとなぜかそういう人に限って

SNSでの活動が面白いくらい皆無だったりする。

そこは必ずしも=では無いけど。

このご時世やっぱりさっきも言ったけど

広告を求められることも多いからね。





私がこんなめちゃくちゃ狭い

テニス界というかなり拗れた世界にいて

そういう社会で生きているのに

そういう問題に疑問を持ったりするから

もちろんちょっと前に流行った

マウントとかも取られるし

でもまぁもうさすがに慣れたけど。

実際大半の人が過ごす社会って

もうやばいんだろうなって。





つまりさ

みんなでかっこいい人になろうぜ。

おばあちゃんに席譲ったり

いつもより多めに仕事したり

わざわざSNSに上げなくても

自分で認めてあげられるようになりたいな

って思ったそんな私。






普通のレベルをどんどん上げて

普通のレベルを神レベルにしたい。

そんな一粒万倍日な今日。

宝くじ!!!!!買うか!!!!!







どういう気持ちの変化があったのか

久しぶりにブログとやらを書いてみる。

 

 

もはやブログという言葉自体死語なのかもしれない。

 

 

そんな私はこの度7週の遠征を終えました。

いつも応援してくださる皆さんありがとう。

 

 

そんな中で今日書きたいことなんだけど

最近の私は年々

やればやるほど自信が無くなっていくんだよね。

 

 

それがもうドラッグのようだと言えば

わかりやすいのかもしれないけど

練習やトレーニングをやればやるほど

本当に足りなく感じるし

そこにはセルフケアだったりメンタルケアだったり

そういうこともやっていかないといけないのに

もうそれをする体力も無くなってしまっているぐらい

自分を追い込んでいるのに

それでも足りなく感じる。

 

 

だから自分がやってることを人から評価されたり

他人に史帆は努力してるよね

と言われるのが本当に大嫌い

というかすごく苦手で

やってないと不安だからやってるだけなのに

本当にそっとしといてほしいし

言われれば言われるほど足りてなく感じるから

何も言わんでほしいっていうのが率直なところ。

 

 

別に努力が報われるなんて限らないし

努力の総量なんてそもそも人によって違うものだから

そんなものを物差しにすること自体

私は違うんやないかなって個人的には思うんだけど

私の話をするなら過去にあんなに練習した

って試合前に思えたのは

全日本優勝した時くらいで

ただあの量はコロナで大会が無かったから

こなせた量なのであって。

 

 

たださ

事実なんてどうでもいいわけよ。

 

 

ある人から見て努力の量が足りなくても

その人が努力したと思ったらそれが自信になって

結果に繋がる一つの理由になる。

 

 

要は気の持ちようってこと。

 

 

でもこの前のオリンピックで羽生結弦選手が

努力って報われないんだなって思いました。

って言ってたのを聞いて

この人がそれだけ思うくらいやったって

その言葉を聞いただけで気持ち悪くなるくらい

すごい練習量やイメージングとか

私には想像もつかないことを

めちゃくちゃやられたんだなと。

 

 

見たことないのに

そう思わせるだけの何かが透けて見える。

凄すぎる。

 

 

ただずっとずっと

自信を持てない私だけど

こういう素敵なお写真を撮ってもらえることで

あー私にも積み重ねてきたものがあるのかもしれない

と思えることが出来た。

 

 

32歳女性だけど

最近流行りのインスタ映えもしないけど

選手でありながらモデルみたいなこともできないけど

別に綺麗な体つきでもないけど

体には正直に出てるはず。

 

 

あとはやってきたことを信じるだけ。

私を支えてくれる人達を信じるだけ。

 

 

 

 

 

なんとなく思ったことなんだけど

やはりどの世界にいても

みんな悩みは少なからず共通するところがある。





例えば私から見たら

グランドスラム出てる組は

やはり1回戦勝つだけですごいと思う。





でも本人達は目指すべきところはもっと上で

負けたらもちろん悔しいに決まってる。





グランドスラムに出られるだけすごい

と思う私目線からは想像も付かないぐらい

もしかしたらすごく悔しいのかもしれん。





逆に言えば若い選手たちや

今現時点では私よりランキングが低い選手達は

私を見た時にすごくテニスが良さそうに見えたり

私が上を見た時に感じることを感じているのかな

と思ったりした。





今自分の体の使い方やテニスのプレーを

変えていっている関係で

上手くいかないことの方が多い。





私の感覚上上手くいってないし

調子が悪いとはまた少し違うんだけど

あまり悪そうには見えないと言われることが

今に始まったことではないんだけど

昔から多い。

(さすがにコーチ達はわかる←笑笑)





ただ外から見た時にたぶん

嬉しいことにすごく良いショットだな

と思ってもらえてるんだと思う。





でもそれは私が誰を見ても感じることだと思う。

もしかしたら

「あーこの子すごくいい球打つな。」

と思ってたとしても

本人の中ではあまり感覚が良くないかもしれないし。





自分が今上手くいかないこと

負けていることが

どれだけ続いていたとしても

やるべき事をやり続けられるのか。

凹むことはあっても

またメンタルを建て直し

やり続けるだけの強さと覚悟があるのか。





凹むなとは言わんし

ネガティブになるなとは言わん。





そりゃ負けたら凹むし

上手くいかないことがもう続きすぎてたら

そりゃ萎える。





でもはっきり言えば

プロテニス選手ってそういうのも乗り越えて

結局勝たないといけない職種なんよたぶん。





アマチュアだったらいいよ

学生だったら別にいいけどさ。

仕事じゃないから。

それでお金もらってるわけじゃないし。





そんな大層なことを言っていいのかもわからんけど

年齢に身を任せて今日は吐き出した。笑笑





結局いい事ないんよ。凹み続けても。

きつくてもまたいいことあると信じて

毎日大事に過ごしていかないと

私みたいに気がついたら30歳すぎてて

20代の時もっとこうしてたらよかった

とか思ってももう時すでに遅しだから。





昨日の自分は変えられん。

でも明日の自分は変えられるよ。

でもそれは今日の自分がどう行動するかによる。





貴方がなんとなく過ごした今日は

誰かにとっては怪我をしてて

テニスをしたくても出来ない今日かもしれないし

貴方がもう全部やめたいと思った今日は

誰かが生きたかった今日かもしれないし。











神様が与えた命は精一杯生きる責任が全員にある。

と私は思ってる。





明日からはきっと良い日になるよ。