前回までは、「木を見る西洋人、森を見る東洋人」と言う言葉を例に出して、西洋人と東洋人の考え方の違いと、その違いの淵源がギリシャ哲学と東洋哲学の違いにあるということを述べました。

次に、それぞれの根底にある考え方の違いが、どのように東洋医学と西洋医学の違いにつながっていくのかを考えてみますね。

まず、身体に対する理解のし方についてはどのような違いがでてくるのでしょうか。

ギリシャ哲学の基本的な姿勢としては、様々な物事を一旦、周囲の関係性から切り離して、対象物そのものの性質や属性に焦点を当てて、カテゴリーに分けて捉えていこうとします。

人間の身体を理解する時もそれと同様に、全体から部分を見るという手法ではなく、まずは身体を細かく部分に分けていきます。

次に、細かく分けた部分の分析をして、対象の性質や機能を個々別々に把握していきます。

結果として、人間の体というのは部分をつないだ集合体なのだという理解のし方になります。

つまり、肺なら肺、心臓なら心臓、目なら目、皮膚なら皮膚、血管なら血管という具合に、部分を周囲の関係から切り離してそれ自体の性質、機能を単独で観察、分析していきます。

そのため、それら複数のパーツの集りが人間の身体を形成しているという認識のし方になっていきます。

「木を見る西洋人」という感じでしょうか。良い悪いは別にして、人体を精密機械のように捉えていくという手法です。

これは、部分同士の境界線が明瞭で、極めて人間の身体を理解しやすい認識のし方です。

ゆえに、西洋医学は人体や病気を理解する際に、形態や部分で分けて、それに基づき個々の性質を重視してみていくという考え方をとっていきます。その方が、人体や病気を理解しやすいのです。

必然的に、病気を診る際にも、呼吸器内科、心臓血管外科、消化器内科、皮膚科、眼科、泌尿器科というように、体のパーツ毎に診療科目というものが分かれていくことになります。
                 つづく