それに対して東洋哲学は、様々な物事は互いに影響しあい、個単独ではなにものも存在し得ないものであるというふうに考えます。

世界は物も人も網の目のように結びついているので、対象物をカテゴリーに分けても、全体を理解する助けにはならないということです。

そのため、現象や機能から法則性を見出して全体を理解していこうとするのですね。

根底にこのような哲学を持つ東洋医学が人間の身体を理解しようとすると、人体は分けようとしても分けられない一つのものという認識の仕方になります。

内臓や手足等の身体の各部分、目鼻耳等の各組織器官等の、一見して関係なさそうな部分と部分が実は相互に関係し、網の目のようにつながった一つのものとして捉えていきます。

例えば、骨の頑丈さや聴力、足腰、泌尿器系等は相互に関係が深く、皮膚は呼吸器、目は肝臓に関係が深い等です。

頭のてっぺんと足のつま先はつながって一体であり、皮膚と各内臓諸器官も別々のものではなく、相互につながった一体のものであるということになります。

「森を見る東洋人」という感じです。

東洋医学では、身体全体が調和のとれた自然の如く、全てが網の目のようにつながっていると認識するため、人体を部分に分けようとしても境界線が不明瞭で、分けることが難しくなってくるのです。

また、木だけを見て森を見ないと、全体の調和が乱れる弊害があるのだというふうに考えていくのです。

ゆえに、東洋医学が人体や病気を理解する時は、形態や部分の性質よりも、全体の関係や、現象における法則性を重視してみていくという考え方になっていきます。

このように、西洋医学と東洋医学の身体に対する理解の仕方では、形態や部分の性質を重視してみていくか、全体の関係や法則性を重視してみていくかという違いが出てくるということがわかってきました。

では次に、やや具体的に、病気に対する捉え方やアプローチの仕方の違いについて考えてみましょう。         つづく