おはようございます!



安田敏弥です。



以下、「解けない解」より引用。


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たとえば、学校入試の問題があるとする。

それには、正解があり、間違ったら点数はもらえない。

しかし、その入試問題に正解がない問題がでてきたら、我々は解答のしようがなく、

それは、おそらくありえないことだと思う。

もし、その解けない問題があるとすれば哲学的なものになるのだろうか。




哲学には解答がないから議論が続く。




学問に生物学がある。

これは、科学的でもある。数学や化学を駆使して謎解きをする。

しかし、人間という生物は、感情面から解析すなわち問題を解けるのだろうか。

男と女という性が違う生き物の話だ。

私は、男女関係、お互いの心、思考回路、これらを解けないのだ。残念ながら。

それにはカラクリがありそうだ。そう

「法律」

かもしれない。しっかりとわからないが…。

法律に縛られると、男も女も、どこか不良になりたくなる生き物、生物らしい。

結婚をしている女性に求愛されるとする。

結婚をして「いない」男はどうするのだろう。

結婚をして「いる」男はどうするのだろう。

両者の違いは、果たしてあるのだろうか。

男の私が判断するに、違いは「ない」と考える。


さて、前置きが長くなりましたが、わたしは結婚している女性も、していない女性も、
複数の気持ちに、

応えられる自信がある。

法律上結婚してない私は、結婚している女性の愛情を寛い気持ちで、受け入れたいと思う。

それは、つまりその気持ちは、わからない「解けない解」だからである。



気持ちの制御ができないのは、やはり、男女間の気持ちは、哲学的なものなのだ。


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正解がないなら、答えを求めるための、

解き方は自由です。

しかし「正解」には辿り着けないかもしれません。

「正解」はないかも?と私は言及してますからね。

その覚悟は、やっぱり必要なんです。

覚悟とは「破綻も視野に!」入れること。

いや、「破綻」って快楽です。

悲しむことはありません。

だって元々、解けないものを解こうとしているんだから…。



所詮、学校入試は高等教育で終わります。

その後の人生を決めるのは、

難関な「国家資格」でしょうか。

その国家資格を所持したって、

男女間の、解を、解けない人が多いのでは。

実は、頭のいい人は「解けない解」に弱いんじゃないか。

そんなことを想いながら、

私は、難病に立ち向かいつつ、且つ、

「解けない解」の正解を模索します!

皆さんも、私と一緒に模索しましょう!!


解く作業って楽しいですよ(笑)