たまたま同席した集まりに
発達臨床心理士の方がいらっしゃいました。
主に子どもの発達障害の相談指導をされています。
少し年上かな?という長いキャリアをお持ちの女性。

趣味の集まりだったので
仕事の話しは表面的に自己紹介した程度なので
そこから計れるものは薄いですが

こどもの能力の表現に
弱い
低い
出来ない
が使われました。
(良い悪いのジャッジはプリーズウエイトアモーメント)

日々子どもの養育(家庭と学校)に関わっている専門家が
この言葉に含ませる情報はなにか?と
考えてみます。
特定の発達能力について、具体的な統計による数値を背景にして
定型発達というライン基準との比例で
弱 
低い
という高低差を端的に言い表しているのか。

受け止める側の知識が限りなくまだらななかで
専門家の発する言葉が
聞き手の「意図しない幅、自己の経験値に寄りかかる憶測」
を​呼び込む

解釈の温度差に、日々接しながら考えてみます。

以前とある施設で長くボランティアされている元教員の方の
「どうせ〜できない」
「どうせ〜は、むだ」
「この子たちわかんないから〜させない」
に、戸惑いました。
このとき私は「作業の協力」を求められていたのですが
これでは取りつく島も無い!と
もや〜っとした怒りを感じたのです。
たまにしか関わらないものにはわからない諦観なのか。
この人の性格傾向なのか。

現場がへとへとになり、やや攻撃的になる瞬間に
たまたま立ち会っただけなのかも知れない。

でもことばと行動の関係を思うと
違う表現を求めたい。