池田大作
「先生を護ろう 力の限り」
戸田会長
「昨日、一昨日もこの公会堂へ集まった方はワシの言うこと聞いて下さったと思うけれども、会長なんていうと、私の事ですよ会長って、偉い人だと思うてる。偉いわけがないじゃないか!君らと同じに質屋に通った覚えが僕にはあるんだよ。この中で質屋に通わない人があったら、よっぽど運勢の良い方だぞ。
おい、喜ぶな。
手形の不渡りなんてさせたら僕は名人だったんだから。そんな人間がだ、かくも幸せになったということは御本尊様のお陰でしょうから。そう言う事をやってこなければ会長になれない。
会長だって言ったってさ、生き仏様だとかさ、生き如来様だとかさ、教主様だとか僕の事馬鹿にしてやがるんだよ。
君らもね、地区部長になったり班長になったり組長になっても偉そうな顔しちゃダメだ。
大聖人が、今(現代に)生まれて来なければ、大聖人の仏法が出来ないようなね、変な仏法作っちゃあきませんよ。日蓮大聖人という御名前の御方はただ一人!ただ一人日本の国にお生まれあそばした。我々に御本尊様を下して、さぁこの御本尊様拝め!この御本尊様拝んだら必ず幸せになる!こう断言なさった。だから我々そのとおりやってる。
そのやり方を教える、吾輩は先生なんです。僕が偉いんじゃない!御本尊拝め!これだけです。信仰したから立派な人間にならなきゃならない、そんなバカなことあるもんかい。凡夫ですよみな凡夫。昨日も質問にありましたが、南無妙法蓮華経、即ち成仏の境涯はどうだ?って言う。それは、行儀が良いとか悪いとか、あるいはその、信仰者、いや、信仰したから泥棒していいってわけじゃないですよ。これは聞き違えちゃだめですよ。また、詐欺やっていいってわけじゃないですよ。絶対いけませんよ、そんなこと。
決して偉そうになるんじゃないんです。
立派な凡夫になればいいんです。
※現在の創価学会は、池田大作を「末法第二の法華経の行者(仏)」と称する邪説をとなえている。
※更に創価学会は、平成28年11月、「創価学会仏が出現」という邪説を発表した。
※池田大作発言
「学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない、奴隷のように学会につかえよ。」
(昭和46年7月8日 社長会記録)