仏典童話 雑譬喩経下   どこにもない火 | 九頭竜のブログ

九頭竜のブログ

元 創価学会員で現在 日蓮正宗にて信仰してます。

創価学会・顕正会及び新興宗教(立正佼成会・霊友会・天理教など)などでお悩みな方はご連絡を下さい。ただし、非通知、ワン切りには一切受け付けません。
080-1952-6998
showheynarumi103@gmail.com

  1

 一人息子と暮らしているおばあさんがいた。心のやさしい息子だった。

 おばあさんを大切にした。今時そんな子はいない。

 としてとった親にとって、それほどうれしい事はない。

 ものはなくとも、金はなくとも、おばあさんは幸せだった。

 ところが、その息子が、病気になって寝込んでしまった。

 おばあさんは、一人でどんなにか心配したことか、夜の目も寝ずに看病した。

 だが、その甲斐はなかった。息子は死んだ。

 冷たくなった息子の身体にとりすがって、狂ったように泣いた。

 みんなは、なぐさめて葬式をすませたが、泣きやまなかった。

 杖とも柱ともたのむ、一人息子を先立たせた悲しみは、あきらめよと云われて、あきらめられるものではなかったに違いない。

 泣きなき、息子の墓の前に座り込んで、誰が何と云っても動かない。

 「生きていてもしょうがない。この子のそばへやらせておくれ。」

 おばあさんは、何も食べなかった。

 四、五日で、カリカリにやせた。放っておけば、本当に死ぬかもしれない。



 2

 御釈迦様は、その話を聞かれるとお弟子をつれて、すぐ墓場へおいでになった。

 そして、おばあさんに

 「なにをしているのだね。」と、やさしく言葉をおかけになった。

 「はい、かわいくてたまらない一人息子を死なせてしまったのです。私も死んで、一刻も早くその子のところへいきたいと、思っているのでございます。」

 「自分が死ぬより、息子を生かそうとは思わないのかい。」

 「えっ。」とおばあさんは、目を光らせて叫んだ。

 「そんなことが、出来るのでございますか。」御釈迦様は、うなずきながら、静かに云った。

 「できますとも、村中をまわって、火をもらってくるがよい。そしたらきっと、息子さんを

 生きかえらせてあげよう。」

 「はい、火ぐらいすぐもらってきます。」

 「いや、しかし、その火と云うのは、まだいっぺんも、死人を出したことのない家の火でなければ、駄目なんだよ。」

 「はい、わかりました。」



 3

 お婆さんは立ち上がると、よろめく足をふみしめて、村の方へ急いだ。必死だった。

 最初の家へ飛び込むと、息せききってたずねた。

 「ちょっとおたずねしますが、あなたの家では、まだ死人を出したことはありませんか。」

出てきた若い主人とお嫁さんは、「出したことがないどころか、一ヶ月前に八っになったかわいい娘を亡くし、まだ悲しみの涙にくれているところです。一緒に死んでしまいたいとさえ思っていましたが、今頃になってやっと、あきらめさせてもらっています。」

 おばあさんは、ふかぶかと頭をさげると、あわててとなりの家へいった。

 出てきたおかみさんは、怒ったように答えた。

 「ないどころか、去年、大黒柱の主人を死なせて、どれだけ泣かされてきたことかわかりません。仏様のお話を聞かせてもらって、やっと落ちつかせてもらったところです。」

 つぎの家へいって聞いた。だが駄目だった。父を亡くしたと云う。

 そのつぎは、母を、そのつぎは祖父を、兄を妹をと、どの家もどの家も駄目だった。

 それだと、御釈迦様のおっしゃる火はもらえない。

 おばあさんは、がっくりとうなだれて、とぼとぼと帰ってきた。



 4

 「どうだ、みつかったかね。」

 「駄目でした。死人を出したことのない家など、ただの一軒もありませんでした。」

 「そうだろう。」と、御釈迦様はやさしく云われた。

 「おばあさん、身内の者を死なせた悲しみは、たえがたいものだが、みんなそれを、じっとこらえているのだ。生まれた者は、いつかは必ず死ななければならない。そのことを、あきらかに知ることを、あきらめると云うのだ。仏様の教えを聞いて、ちゃんとあきらめたみんなは、寂しさに耐えながら、生きようとつとめているのだ。それなのにおばあさんは、それがわからず、死んで息子のところにいこうとしている。息子が死んで教えてくれたことに、

 気づかせてもらうことこそ、かわいい息子を生きかえらせることではないだろうか。」

 おばあさんは、悲しみに狂った自分の心が、御釈迦様のそのあたたかい言葉で、ほっとつつみこまれるような気がした。

おばあさんは、こくんとうなずいた。